又食いつきました?
花粉症の人には申し訳ないのですが、花粉不感症です。
人には花粉の容量が有り、一杯になったとき症は人生の伴侶になるという通説。
子供にも解りやすく、なるほど良いたとえ話ですね。
お茶碗にどんどん溜まってくる花粉をイメージ出来て、恐々としますね。
原発安全神話が目に見えぬ放射能への恐怖を打ち消す為に費やした労力に比して、
花粉はマスクで簡単に防御できる御しやすい対象物。
近頃は季節商品に定着してグッズ生産計画もこなれてきました。
スギ薬局でマスクを買って北京現人になって安心するのは実に簡単でよろし、
私のように茶碗が割れててへっちゃらなのも居ますし大層なことは無い、
以前は花粉症に閉口したが今は何ともないという人に先ほど遭いました。
さて、放射能汚染に対して私たちは個人レベルでどのように防御するか。
マツモトキヨシでマスクを買っても僅かに体内被曝が減るだけです。
放射線に対して人は死に至る確実な茶碗容量を持っています。
割れ茶碗の人は一人もおりません。
線量計を持ち歩き食品などチェックするのがよろしいが、何故か流行ってませんね。
そして、現実的防御法はありませんから逃げる以外に道はありません。
発生源を作らない努力をすることが一番よろし。

 割れ茶碗で思い出したのですが、
「慾袋」という変な銘の半泥子の作品。
http://www.sekisui-museum.or.jp/gaiyou/ha_03.html
これは茶碗では無く水差ですが、
茶碗ならまだしも水差が割れてたんじゃ、おじゃんだと思うが違う。
窯から出てきた失敗作が気に入ってしまうこともある。
大きな割れ目を金継ぎと言われる修復技法で塞いである、
失敗作?に贅をつくした修復を施し美観を高めて銘をつける。
半泥子の作品には素人風のおもしろい銘が多い。
生涯陶芸には素人を通した子が名付けたからこそ、又
欲などには縁遠かった氏であったからこそ命名出来たのでしょう。
自由に使える金を持った?金持ちであったとの関係者談。

 出て行った息子が自分のアパートで大切な単車を盗まれた。
意気消沈の社会不信ではまずいと援助申し入れ、
「父のバイクをあげようか、乗るかい?」
一瞬勘違い。演算回路に複雑電流
「?・・・あれは・・・オンボロやで・・・いらんわ~」
「あっ、いや、スクーターの方ですよ」
「えっ、あっ、貰うわ」
三十年近く連れ添った女房号が息子の手に渡り、二号さんは手元に残ってホッ。
よくよく欲が無くならぬ私です。