芦浜が経験してきたことを、私達はもう一度学習しておくべきです。
60年代、国はエネルギー展望を原子力発電にかけました。
芦浜は真っ先に原発計画地になります。
高度成長のただ中、電力需要はうなぎ登り、貧資源国の選択肢は狭かったのです。
スリーマイルやチェルノブイリの教訓はずっと後の事です。
芦浜周辺の人々は原発立地の誘惑と放射能への不安という両津波に襲われます。
漁業への影響を心配する漁業者と、そうでない人々との対立を基本軸に、町は反対派と賛成派に割れます。
反対派漁民は政府の視察団を海上ボイコットし、多くの逮捕者を出しました。
難航する立地交渉は金まみれ力ずくの立地工作へと変貌していき、
電力会社からの工作資金は人々の心を拐かし、永い間に渡って地域社会を蹂躙し続けます。
芦浜を抱える二つの町と七つの漁協は人間の弱さと強さを世間にさらすことになりました。
海と町を守ろうとの強固な意志を持っていた反対派にも心が折れだす人が多く現れ、
選挙の度に首長は反対派と賛成派が入れ替わり、家族同士でも立場で分裂してしまう辛い日々が続いたのです。
難航する芦浜の代わりに最も危険と思える浜岡原発が先に出来てしまいます。
やがて原子力が魅力を失った時代を迎えても国は原発推進の方針を変えず、
芦浜住民と電力会社は望まぬ国策に翻弄され続けていきました。
 時が流れ世代も代わり、
時の知事が計画を白紙に戻して以後は平穏を取り戻していた芦浜でしたが、
近年の温暖化ガス抑制を口実にした原発依存の風潮には心配を募らせていたときでした。
事故は起こりました。
今、芦浜の人々は福島の人々に自分を重ねています。
福島を忘れそうな多くの日本人には分からない共通の想いを持っています。
辺鄙な沿岸地であり津波に泣いてきた歴史も、原発に誘惑され蹂躙された事実も共通なのです。
違ったのは原発が出来なかったことです。
体を張って自分達を守ってくれた父ちゃん母ちゃんのおかげで、
福島と違う道を歩めていることを知っているのです。
芦浜が有る三重県旧南島町と旧紀勢町の人々は、
先人達を敬い、綺麗な海や山が有ることに今感謝をしています。
そして、
”原発を止めた町”として世間に知られるようになった現在、
一人ひとりは弱き人間であるのは今も変わりはありませんが、
自分達の孫子に取り返しのつかない禍根を残さぬようにとの共通意識で、
又ぞろ押し寄せてきそうな芦浜原発という国策津波を、楽しみに待ち構えるのです。
これは私が思っていたことです。
 先日田舎の友人と飲む機会があり、その居酒屋の主人が偶然旧紀勢町の人でした。
長島事件は祖父の代の出来事であろう若き青年です。
「もし万一、原発計画が再燃したら町の人はどうしますかな」
「う~ん・・もろ手を挙げて賛成する人多しのように・・感じますね」
いつの世も弱き人は多数を占めているのですが、
若いご主人よ、認識外れなのは貴方なのか。
私なのか。