陳氏と張さんは小さな飯店を商っています。
主人の陳氏に仕える張さんはとっても良く働く料理人です。
店は繁盛し、張さんは休む暇も無い忙しさです。
一方陳氏は何も手伝わずに遊んでいます。
でも張さんは文句を言いません。
二人の待遇は双方が納得済みなのです。
二人は、生き甲斐となる価値観が共通しているのです。
無類の麻雀好きが二人を結びつけています。
毎日、客が退けた後、二人は二人の女房殿も混じえて卓を囲みます。
陳氏は店の権利書を賭け、張さんは自身の労働を賭けてゲームは行われます。
以前は張さんが主人で陳氏が料理人だったのです。
ゲームの結果で立場は入れ代わるのです。
二人とも料理の腕は一流、どっちがどっちでも客は引きを切らず飯店の運営に支障をきたしません。
二人は好きな麻雀を続ける為に、負ければ働き、勝てば遊んでいるのです。
それはもう永年繰り返されてきたことなのです。
小さな飯店の中に持続可能な社会の仕組みが実現していたのです。
さて、
どこか不自然に感じた貴方は資本主義社会に慣らされた人です。
価値を何処に置くのか?です。
陳氏と張さんには共通価値感が有ります。
楽しいゲーム(偶然性による配分)を永遠に続けていくことが二人の目的であり、
権利書や労働は単なる道具や手段に過ぎないのです。
資本主義社会では価値を権利書(物や金)に置きやすく、
権利書を手に入れた時、それを賭ける必然が無くなります。
賭ける価値を無くしたゲームは成立性を失い何れ終焉を迎えます。
ゲームを続けていく為には権利書に見合う労働価値が膨張していかざるを得ません、
若々しく?成長し続ける以外に道が無いのです。
そしてそれは何時か限界点を向かえ終焉します。
成長し続けることは出来ません、容量が先に決まっていますから。
持続性を欠いた仕組みが資本主義社会といえるでしょう。
陳氏と張さんの二人社会は永遠の持続性を持ちます。
常に賭けるものは不変等価である権利書と労働です。
ゲームをすることが目的である限り、膨張して終焉を迎えることなく、
この小さな飯店は永遠に商われていくのです。
やっぱり何か変だ!・・と、思った貴方は正常?
でも、
最近の風潮として大量消費文化を見直すことに異議を唱える人は少ないでしょう。
3・11以降、大地震をきっかけに起きた原発事故の教訓から、
日本や世界の先進国では経済第一指向の呪縛から離れ、
人間の命や健康こそが第一だと捉える考え方が大勢となってきました。
当たり前のことが改めて認識され直したのです。
少々貧乏で不便であろうが、大きな不安を抱えて生きているよりは、
ずっとましで豊かな生活であろうという、いたって自然な考え方です。
それが分かっていながら一部の人が逆行の舵を切ってしまうのですから、
日本はまがい物の民主主義なのでしょう。
永遠に成長し続ける物など在りません。
膨張し破滅に向かう社会より、
縮小しつつも安定に向かう社会の方が自然であるように思うのです。
私達の仕事が膨張し続けるのも、まがい物の民主主義だからでしょう。
GWは一日も休めずに終わってしまいました。
市民の税で行われる事業を自身が行う不思議感覚。
その価値は自分の税で生み出され自分自身が受益し、又出発点に戻る。
搾取の駆動ロスが無ければ永遠に回るメリーゴーランド。
回り続ける私は愉快なピエロでしょうか。
平常心に戻っては自身の際どい健康状態に怯えています。
元々疎遠な家族関係は他人の関係にまで昇華しました。
なにごとにも感謝であります、ありがとうございます。
僅かな休暇をバイクで飛ばし、名画座に感涙する。
資本主義社会の猛者も心は正直だったというハリウッドラブロマンスも、
心から楽しめないのは経験則が許容しないから。
ハッピーエンドは希少種になりつつある。
えっ。
お前だけぢゃっ、ですって?
