今日は父の法要だった。


曹洞宗なので、お施餓鬼という行事が年1である。檀家さん方が集まって、まとめてお経をあげて頂き、焼香してくるのだ。


何人ものお坊さんが、お経を唱えながらグルグル回ったり、儀式を行う場は神聖で心地良かった。神さまに触れるような場が、やっぱり好きだな。


父の葬儀をした時のことを、思い出した。

とても素晴らしい体験だったのだ。


私は13年前に、父を8年の介護の末に看取った。


当時お世話になったのが、若くて一生懸命な葬儀屋さんで、仏教のことを沢山教えてくれた。


その中に、供養旅のお話があった。お寺を回って故人の戒名を納めてお経をあげてもらう。これを沢山繰り返せば繰り返すほど、故人が極楽浄土で幸せになる、という仏教の考え方を教えてもらった。


父が遂に息を引き取ったあと、もう私には父の為にしてあげられることが、何も無いのだ、という行き場のない感情がやり切れなくて、無性に駆られて、京都に父の供養の旅に出ることにした。


父は生前、寺院仏閣が大好きで、よく家族を連れて京都のお寺に行った。当時小学生の私が、楽しかったがどうかは微妙だけど、その時に教わった、雲中供養仏だの、空海像だの父の好きだった場所を巡りながら、お経をあげてもらおうと思い立ったのだった。父の為にすることを、母も喜ぶかなと。


桜が一番美しい季節だった。


当時の私は、肉親を初めて亡くして、悲しみをどうにも出来なくて、何だか夢中になって寺を歩き回った。


行ってみたら、色んなことがあった。


初日は曹洞宗の本山に行った。

身なりも整えた方がいいかな、と黒スーツに数珠を持って行った。きちんとしたつもりだったけど、その姿でお茶屋のお花見弁当を食べていた自分が、怪し過ぎて初日でやめた。


次の日は、六波羅蜜寺、ねねの寺、龍安寺。父の好きな場所で、父の名前を納めて来た。当時33歳で、よく未亡人に間違えられた。そんなに思い詰めた顔をしてたのかな。


たくさんの読経も心地良かった。節々で、くしゃみの止まらないお坊さんがいて、小僧さんが小声で「すみません、花粉症なんです」と教えてくれた。余計笑っちゃうじゃないかと思いながら、手を合わせた。


こんなこともあったけど、これをやればやるほど父が幸せになるのだ、と何だか一心に思い込んで気が済むまでこれを続けた。


ずっと寄り添った父を亡くして、精神状態も普通じゃなかったんだと思う。


でも、何日目かに不思議なことに気がついた。


お寺に行って、読経を頼む時

お土産屋さんに行って、漬け物を選ぶ時

ホテルの係員の方に話しかけた時、


「父の供養に来たんです」


と話すと、みんな同じことを言うのだ。


「そうですか、それはお父様喜ばれてますねぇ」と、みんなが言う。本当にみんなが言葉を揃えて言う。


普通の会話なんだろうけど、何処に行っても誰と話しても、ハンコのように一字一句同じことを言うので、ちょっと奇妙だった。


何でみんな同じ事を言うんだろう...


と、考えてみて、あっ、と気づいた。


この京都の人々は、今の私みたいに、大切な人を亡くして、行き場のない思いを抱えて訪れた人たちを、こうして何百年も迎え続けて来たのだ。


私のような人が来たら、この言葉をかけていたわること、が共通の習慣になるくらいに。


私が今、父を亡くして歩き回ってるこの道は、何百年も前から何万人もの人が、同じ思いを抱えて歩いた道だったんだ、ということに気づいて、腑に落ちた。


そんな人々を、こんなに優しく受けとめてくれる文化が、京都には続いているんだ。


寺を巡って手を合わせ、繰り返す道のり。これは、悲しみを抱えた人が、自分の心でこのことに気がつくまで、の旅路を用意してくれていた。


亡くした人を愛するほど、自分の悲しみだけで周りが見えなくなる。そんな人間が、こんな風に受け止めてもらうことで、この悲しみは私だけじゃない、みんなが辿る道だった。生きるとは、こういう事だったんだ。と自分で悟って、自分の人生に戻れるように、なれる道を、用意してくれていた。


仏教って、何て思いやりに満ちた考え方なんだろう、と心から感動した。


その気持ちで、京都の街を見回した時の、満開の桜、仏閣の美しさは13年経っても忘れられない。


亡くなった父を思い出す時、まず最初に思い出すのは、桜の一番美しい京都を思うようになった。父の供養をしたことで、知らなかった日本の美しさを知ることが、出来た。


やっぱり、父の病気と死に、寄り添ってみて良かったな。と、この経験が思わせてくれた。それ以来、お坊さんやお寺が好きで、今日もいい1日になった。


ずいぶん長い文章に付き合って頂き、ありがとうございました。