私.、自分が傷つくのは仕方ないと思ってる。

それでも、「仕方ない」と「嫌」は別。傷ついて嬉しく思うわけなんかない。


それよりもっと嫌なものは、意図せず知らぬ間に誰かを傷つけた事実を後から知った時。




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自分が誰かを傷つけてしまったことを後になって知ったところで、「時は既に遅し」。

後になればなるほど、謝ることすら許されなくなる。

誤魔化すことも出来ずに、延々と苦しい時間だけが過ぎることに、私が寝をあげて関係を断つか、あやまるタイミングを測ってるうちに、ギスギスした不毛の時間に耐えかねて相手が去る(大概、私の方が音を上げる)。



こういうのは、苦しいだけが時間だと思っていたが、それはまだ健全な人間関係だったのだと気づいた。


最近よく出合うのが、これに限らず、こちらの罪悪感をわざと引き出し、賠償金とでも言いたげに、自分の要求を押し通そうとしてくる人間がいること。


人間だもの。

自分が傷ついたら、やりたくなくてもそうなってしまうことは、私含めて誰だってあると思う。


気になっているのは、ここ数年、そういう生業を得意としている人たちに遭遇することが増えたということ。


私はその人たちは、無意識かつ、無自覚にやっていると信じてた。

ふと、先月の UMAくん の言葉が脳裏に浮かんでしまったんだよ。


凝視 は、お姉ちゃん気質だから抱えちゃうんだよね」

凝視 が、放っておけないのは、結局、心の奥で寂しさがあるからでしょ」


コレ言われた時、「コイツ意外と人生経験豊富なイイオンナだ」と、見直してしまった。


そう、「意外と」と、私がつけたのには理由がある。

こいつこそ、いつもトラブルを起こしては「凝視助けて~」と、言ってくる張本人のひとりだからwww 



私って、馬鹿。

ひと月も経ってから、気づくなんて、、、

あのセリフは、アイツが無自覚で自分のトラブルに人を巻き込んでるのじゃなくて、人を観て「カモ🦆」を選んでやって、計算や計画的にやってるって、自ら白状したセリフじゃん💦


私も、自分で「悪代官」って名付ける程度は、人間関係に計算は入れるよ。

でも、私は 「All OK」「関係者の皆の結果オーライ Goal」を最初に目指す。

それが叶わなくなったときに、「我が身を守る goal」を目指す。


ホント、どっちが「悪代官」だよ💦

知ってるよ。悪代官だとネーミングをつけた奴が「悪代官」だ。

人やモノは、名付けられた通りの働きをするようになってるから、、、


たとえば、「机」や「椅子」の働きはソレじゃなくてもいいのに、ほとんどがその用途として選ばれるだろ?

そういうものなのよさ。


あーあ、良い事目指して自分を「悪代官」や「魔王」って呼ぶのやめよう‪💧‬


新たなネーミングは、ナニにしようかな❓

一瞬、「ピカソ」が浮かんだ。

残念、もう既に私が「ピカソ」認定した奇才は既にいる💦


不思議なことに、自分や人にあだ名をつけて呼んでると、人ってそのような雰囲気を纏って来るのさ  ルンルン

もう、人にではなく、私自身が報われたいと思った。

次は、何を纏うかなぁ?

私が纏えるモノじゃないと役に立たないんだよね~‪💧‬


あ、6月の例祭で見た、老紳士がいいなぁ!

燕尾服に手袋、シルクハットで、ピシッとした姿勢で立ってた老紳士。。。老獪?  怪しすぎる www 

威圧は削りつつ、舐められないようにだな。。。

西洋の騎士か書道家の爺さんに憧れるけど、、、

私の思考回路の世界は、きっと「ダリ」www 

ダメだ、諦めて「ダリ」をベースになんか考えよう‪💦

ダリの絵はとても好きですが、自分の頭の中はピカソであって欲しかったと思う‪💧‬



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とっても、長い「前置き」を経て、本タイトル テーマにいこう。



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私.、自分が傷つくのは仕方ないと思ってる。



それよりもっと嫌なものは、意図せず知らぬ間に誰かを傷つけた事実を後から知った時。

チリチリと燃え続ける罪悪感になやむ。


私は、あえて「相手を傷つけることの効果を狙う」こともあるので、その場合は「悩まない」と覚悟を決める。

結局、悩むし、凹むんだけどね www 


それでも、「意図する」ものと「意図せず行ってしまった」ことへの、罪悪感は大きく変わる。

だから、願わくば「人を傷つけたくない」を願って生きてきた。


実行無理な願いさ。

イタチごっこさ。




思ったんだよね。


私は、私が傷つくことは仕方ないと思ってる。

その傷ごと、私の宝だとさえ思ってる。

傷ごと、前に進み続けるしかない大事な仲間とまで思ってる。


なら、「人を傷つけた痛み」も受け入れようと、思ったんだよ。


生きるということは、どうしても誰かを傷つけしまう。

意図するにせよ、無意識にせよ。

ときには「私の存在そのもの」が「相手の傷」になる経験だって、幾度となくしてきた。

みんなそんなものだろう❓



私は、まだ、綺麗事の良い子ちゃんを目指してたんだな。


私が存在するだけで、傷になる人だっていたんだ。


もう、無自覚だろうが「人を傷つけてしまう」ことを恐れるのはやめよう。


それを認めることができて、初めて、自分が過ちを犯したことに気づいたとき、見返りを求めることなく謝ることができるのだ。



それができるようになって、

人の罪悪感を利用して利益を貪ろうとする、狡猾な人間を見抜く「目」と、「なんの感情も無く断る礼儀正しさ」を得られるのではないだろうかはてなマーク


これをやったら、人から「冷たい」と、言われることが増えるだろうが、「誰かを傷つけることを受け入れてる」んだ。

それで動したり、自分が罪悪感で傷つくことは、減るだろうなぁ。。。