ロッキン・ポコキン☆ -2ページ目

扉☆

河出書房新社の文藝別冊で昨年12月に「ドアーズ」特集号が刊行されたけれど、これまで何冊ものドアーズ本や音楽誌で読んできてこれ以上とくに何もないだろうし今さらこんなロック爺が読むよりも若い世代のひとが読むべきものであると勝手に思いこみ見送っていたのだがここにきてその記事内容のなかで村上龍氏の「ドアーズ詩篇」が掲載されていることを知りそれならそこだけでも読まねばなるまいと考えた。

というのもかつて1989年に思潮社から「ロックオリジナル訳詩集」という単行本が刊行されそのなかに村上龍氏の訳詩が掲載されておりそのあまりの素晴らしさと氏のドアーズすなわちジム・モリソンへの想いにとても感激したからである。

今回の文藝別冊ではおそらく村上氏によるドアーズ訳詩数編および詩人としてのジム・モリソンについての文章が掲載されているとこれまた勝手に思い込み期待しているのであるが、思潮社からの本では「People Are Strange」「The Crystal Ship」「Moonlight Drive」の三曲が選ばれており、とくに真ん中の「水晶の船」これがとてつもなく素晴らしい。

村上氏は『ジム・モリソンの言葉を借りてわたしが詩を書いたと思ってほしい』と書いていたがまさにそれは僕が聞いて感じたその曲そのものでありそれ以外のなにものでもないのであった。

ところで、かつて90年代に出版された集英社文庫「ランボー詩集」において村上龍氏が短い鑑賞文をよせておりそこで彼はこんなことを書いている。栗田勇氏が「ロートレアモンの歌」のあとがきでロートレアモンの原著に近づくのが怖くなったと。そしてそれは二度目であり一度目はランボーであったと。村上氏はこの「怖れ」を「人智を超えた正確さに対する畏怖」であり「その正確さが表現にとって最も大切なのではないか」と述べている。そしてこの正確さとは「言葉の組み合わせの正確さ」であると。

これを読んだときに思ったのは僕の場合それは本や文章ではなく音楽であった。それは灰野敬二氏であり彼の不失者(グループ名)における演奏を何度も聞いていた時期、ある日突然怖くなりかなりの期間彼の音源に触れることができずにいたことがあったのである。それが自分では何故だかわからなかった。けれど村上龍氏のランボーについての鑑賞文を読みなるほどそうだったのかと。

「人智を超えた正確さ」と言ってしまうとそれは「神の領域」と呼べるのかもしれない。しかし「神」という言葉は使いたくないと思ってしまうのは昨今の我が国におけるなんたらかんたら…

ああー…おわり。

桃☆

相変わらずである。午前四時。夢の中の涙が目覚めた瞬間現実のものとして頬をつたう。そして再び嗚咽。おえー。おーいえー。アホか。
数年前から今年の俺の10枚!とかやめざるをえない状況が続いているがとりあえず今年はこんな感じ。1.Gezan 「ストロベリーエッジ」 2.Gezan 「凸deco」 3.マヒトゥ・ザ・ピーポー 「POPCOCOON」……3枚しかない!というか、この3枚だけでもういい。ラジオから流れてくる音楽で心に響いたもの、耳にとまったものがまったく無い。だからもういいのである。終わった。
あとはジョアン・アシャートンのアルバム「ダイアリー・オブ・ア・パフュームド・クラウン」とか。マーク・ボラン風の声と瑞々しい音がいいですね。
今年の1冊!となるとマラルメの「イジチュールまたはエルベノンの狂気」であるが、若いころに読んでいればもっと入れ込んだであろう。あとはランボオ「地獄の季節」の粟津則雄氏訳とか。ずっと小林秀雄で読んでたけど粟津さんの訳のほうが好きだ。それから「吉田一穂詩集」とか折口信夫「死者の書」とか。でも一年を通して常にそばにあったのは間章さんの「時代の未明から来たるべきものへ」である。
つかもう憑かれた!じゃなくて疲れた─オバケオバケねこへびねこへびドクロ

堕羅駄裸☆

近況をだらだら。生きてる。いろいろと捨てた。F子ちゃんと腕を組んで歩いた。夢で。外人のおっさん二人になめられた。夢で。コンサートに行った。夢で。レコード店に行ったら休みだった。夢で。Kちゃんの腰のツボを指圧した。夢で。夜中に何度もラジオを聞いた。夢からさめて。アコーディオンと歌の力強さに感激した。チャラン・ポ・ランタン。好きだ。調べたらもっと好きになった。まだ『好き』という気持ちを失ってはいなかった。「愛の讃歌」を聴いた。泣きはしなかった。景気が悪いのか良いのかわからないけれど日本は豊かな国なんだろう。こんなにもイルミネーションがキラキラしている。マラルメの詩集が新訳で刊行された。読んでみたい。もう一冊読んでみたいのが「死にたくなったら電話して」。作者は「弱っているときに枕元において何度も読みたい小説を書こうと思った」らしい。僕にとってそれはたとえば間章さんの本であるがもうすぐ間さんの命日だ。月曜社から刊行された全3巻の著作集は買えなかった。結局何も変わらない。好転しない。世界は殺伐としている。世の中は戦いや争いに満ち溢れている。流れのなかを一歩ずつ歩みそしてオチル。失意の失墜。