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坂道のトンネル

はじめまして!
横山展晴(よこやまのぶはる)です。
役者として生きています。


明けましておめでとうございます。
2016年最初の更新となります!

役者の横山展晴です(^ ^)


年末年始、みなさんはどのように過ごしましたか?


僕は12月29日まで稽古があって、ちょっと一息ついてみると年内にやっておきたいことがハッキリしてきて、30日と大晦日にはお店やらなにやらドタバタと走り回っていました。

「師走」を詰め込んだような2日間でしたが、洗濯をしたり部屋の掃除をしたりして、終いには美味しく年越し蕎麦を食べることができました。


お蕎麦を食べ終えると…

なぜか「あ、爪を切っていない!」と思い立ち、23時59分30秒まで爪を切って、無事にあたらしい年を迎えました。笑

元旦はぐっすり眠って、
2日には初詣へ行きました。
3日は作業やら何やら…


個人的に、八焔座での取り組みが続いているのだから区切りをつけたくない、という思いもあってか年を越した実感はずっと薄いままです。

もっと言えば、2015年は自分自身もっとやれることがあったなと思っていて年越しの気分をなるべく味わうことなく過ごしたいと考えていました。

本当は実家にも帰りたかったけれど、12月末にかけて、自分のなかで色々なことが不完全燃焼な状態で帰るのは嫌だという気持ちが強くなってしまって辞めました。



今年は来たるが、
去るの年。

2015年から2016年への移り変わりはなんだか緩やかで、気づいたら別の岸に流れついていたような感覚です。来たのか去ったのか、おわりもはじまりもわからなくて、流れている川に手を浸けたときのよう…




そして、猿の年。

「そうか、今年の干支は猿(申)なんだな」と思い返していたら
頭の中で芝居と猿が結びついて、

「猿芝居」と「猿真似」

という二つの言葉が浮かんできました。

役者としては、自分の芝居につけられたら嫌な呼び名だなと思いました。


何事もはじめは真似事からなのかもしれませんが、そこから抜け出さなければ、いつまでも自分の力や色は見えてこないもの。

演技についてではなく、どちらかというとライフスタイルや仕事への姿勢について、誰かの真似をしてやっていることは無いだろうか?

そんな疑問を自分に投げかけてみました。

「ある。」

尊敬している身近のひとの考え方に乗ってものごとを扱ってしまったり、そのひとの言動と自分の言動を都合よく重ねてしまったり、そういうことが、時々でもある。


そこから抜け出して自分のやり方を持ちたい。

そう思ったら、どうすればいいのだろう…


そんなことを考えながら初詣へ行って、
引いたおみくじに
こんなことが書かれていました。

「見る目が、まだ二流三流のところに低迷しているときには、真にすぐれたものよりも、二流三流のものにかえって目がうつる。だから、“ああこれはちょっといかせる”と思うと、すぐにそれに習ってしまう。大事なことは、正しい基本をしっかり習得すること。そして同時に、一流のものをできるだけたくさん実際に見ることだ。」


考えていた心に直接響きました。
なんて奇跡的なことだろう…
この言葉をたいせつにしたいと思います。



そして、「猿」と言えば
有名な「三猿の教え」がありますよね。


『見ざる、聞かざる、言わざる』


日本だけに伝わる教えというわけではないらしく…
孔子の『論語』では、

礼にあらざれば視るなかれ、
礼にあらざれば聴くなかれ、
礼にあらざれば言うなかれ、
礼にあらざればおこなうなかれ

という書き方がされています。


また、鎌倉時代の説話集『沙石集』では

言わないこと、見ないこと、聞かないことの三つは口と目をとじて耳を塞ぎさえすればできることだけど
「思わない」のは難しい。

という意味の歌がしるされています。


「礼にあらざれば」
「おこなうなかれ」
「『思わない』のは難しい」

三匹の猿のうしろに隠れた、この三つの言葉が大事なのではないかと僕は思います。


正しいと信じることは素直に、
見て聞いて言う。

あらゆることを見て聞いて言って、
きちんと選択した上で「行動」する。
(この場合、「言う」も「行動」のうちだと思います。)


そして、思うことは思うままに思えばいい。


どんなに古くから伝わる教えでも、きっといろいろな捉え方があって、そのどれもが正しいのだと思います。
間違っていたと思ったら、捉え方を変えればいい。
そうやって、繰り返して、言葉や感情の意味を更新していく…。

人の生活も、毎日おなじように感じているうちはつまらないと思うことが多いかもしれない。だけど、気持ち次第で違ってみえることは多い。

演劇作品だって、つくるために稽古をかさねること、上演する回数が一度とは限らないこと、それもきっとおなじ。

人の生活も演劇も遠い昔から伝わって続いているものだから。


この、緩やかな年の切り替わりはごく自然なことなのかもしれない。
そう考えると、焦りも安堵もなく、今まで通りに「変化しつづけている」自分を生かしていけばいいと思えます。




繰り返すこと、感じること。


もう少し掘り下げて書いてみたい。



かつて上演された演劇作品を、もう一度上演することを「再演」と言います。

今回、僕が参加する八焔座が旗揚げ(最初)に上演する『cicada』という作品は三年前に一度上演されています。

つまり、今回が「再演」となるわけです。

そこにはどんな意味があるのか、
これもまた人それぞれに捉え方があります。
だから「再演」が僕にとってどういうものなのか、次回このブログで書きます。
きっと、舞台『cicada』を一層たのしみに感じていただけると思います。




そしてその次には、「感じること」についても綴っていく予定です。


テーマは《五感》



さきほど取り上げた三猿の中にも、
「見る」「聞く」の
二つの感覚が含まれています。

のこりの三つ、
「嗅ぐ」「味わう」「触る」

この五つの感覚について一つずつ、五回にわたって僕の目線で書いていこうと思います。

この「五感」についてまとめる目的は、第六感など五感以外の「感じる」について考えるためです。

いったいどんな考えが生まれるのか、僕もまだわかりません。だけど、きっと何か面白い気づきが得られると信じています。


お楽しみに!






今日からお仕事の方が多いのだろうと思いますが、まだゆっくり過ごしている方もいるのかもしれませんね。

僕たち八焔座『cicada』メンバーは今日が新年はじめの稽古です。
ダンサーのみなさんも合流して、作品にあたらしい彩りが加わっていきます。

きっとまた書きたいことが増えるでしょう♪(´ε` )

皆様、いつもありがとうございます。
引き続き、応援をよろしくお願いいたします。


横山展晴