住吉物語より
○本文
さらぬだにも、旅の空は悲しきに、夕波千鳥、あはれに鳴きわたり、
〜
立ち入らせ給へ。」とて、袖をひかへて入れけり。
○訳
ただでさえ旅の空は悲しいのに、夕波千鳥が趣深くあたり一面に泣いている。岸の松風はなんとなく寂しく空に寄り添って、琴の音色がかすかに聞こえていた。この音の演奏は盤渉調にあたり一面に澄み渡っていて、中将はこれを聞きなさったような心は、言うならば言葉では言い尽くせないほどであった。「ああ、すばらしい。この琴の音色は人間が演奏しているものではまさかないだろう。」などと思いながら、その音色に誘われて、なんとなく立ち寄って聞きなさると、釣殿の西面に若い声が一人二人ほど聞こえた。琴をかき鳴らす人がいる。「冬はろくになじめなかったのです。ここの松風や波の音は心惹かれます。都ではこのようなところも見なかったのになあ。ああ、ああ、情趣を解する人々(都の人々)に見せたいものだなあ。」と語って、「秋の夕焼けはいつもより、旅の空だからこそしみじみと趣を感じることですね。」など、風情のある声がして、歌っているのを侍従であると思って「ああ、驚いた。」と動揺して、「風情のある声を侍従のものと思い込んでしまったのだろう」とと聞きなさっていると、
私を尋ねるはずの人もいない、この渚の住の江に一体誰を待つといって、松風がひっきりなしに吹いているのだろう
と歌っているのを聞いてみると、姫君である。
「ああ、すばらしい。仏のご利益がはっきり現れたのだろう。」と嬉しくて、簀の子の方に寄って簀の子を叩くと「どのような人であるのか」と侍従が透垣の隙間から覗いてみると、簀の子に寄りかかっていらっしゃるお姿は、夜目であってもはっきりと見えたので、「ああ、驚き呆れることであるなあ。少将殿(姫君らは男君の位が上がって中将に昇進したことを知らない)がいらっしゃいます。どのように申し上げたらよいでしょうか」と言うと、姫君も、「しみじみと趣深く感じることです、少将殿は私のことを愛しく思っていてくださるのだなあ。そうではあるが、人聞きが見苦しいでしょう。私はいないものと少将殿に申し上げてくださいな。」と言うので、侍従が出て中将に会い、「どうしてこのようなみすぼらしいところまで来なさったのですか。ああ、とんでもない。あの後姫君が亡くなってしまって、私たちの心が慰めることができずこのように彷徨い続けていたのです。少将殿を見申し上げるに、いっそう昔のことを恋しく思っているようですね。」など侍従が思いつくままに言うので、たいそう悲しく、悲しみにくれて、物も考えることができず中将はますます涙を催す心地がしなさった。「侍従が、姫君のことを隠して来て、恨めし君嘘をおっしゃるものであるなあ。」と「姫君のお声も聞いたのになあ。」と浄衣のお袖を顔に押しあてなさって、中将は「嬉しさも辛さも半分半分であります」とおっしゃったので侍従はもっともだと思い、「そうであっても、お休みください。都のことも知りたいので」と尼君に相談すると「(高貴な方がみすぼらしいところに入るのは)滅多にないことである。ものの情を知りなさってください。まず、ここに入らせなさるのはよいです。申し上げよ。」と言うので、侍従は「無遠慮で失礼なことではありますが、姫君のゆかりである私の声をお訪ねくださったのでから、これに免じて。旅はそのようなこと(都と異なり馴れ馴れしい無礼なこと)ばかりであります。お入りください」と、中将の袖を引っ張って中へ入れた。
○本文
さらぬだにも、旅の空は悲しきに、夕波千鳥、あはれに鳴きわたり、
〜
立ち入らせ給へ。」とて、袖をひかへて入れけり。
○訳
ただでさえ旅の空は悲しいのに、夕波千鳥が趣深くあたり一面に泣いている。岸の松風はなんとなく寂しく空に寄り添って、琴の音色がかすかに聞こえていた。この音の演奏は盤渉調にあたり一面に澄み渡っていて、中将はこれを聞きなさったような心は、言うならば言葉では言い尽くせないほどであった。「ああ、すばらしい。この琴の音色は人間が演奏しているものではまさかないだろう。」などと思いながら、その音色に誘われて、なんとなく立ち寄って聞きなさると、釣殿の西面に若い声が一人二人ほど聞こえた。琴をかき鳴らす人がいる。「冬はろくになじめなかったのです。ここの松風や波の音は心惹かれます。都ではこのようなところも見なかったのになあ。ああ、ああ、情趣を解する人々(都の人々)に見せたいものだなあ。」と語って、「秋の夕焼けはいつもより、旅の空だからこそしみじみと趣を感じることですね。」など、風情のある声がして、歌っているのを侍従であると思って「ああ、驚いた。」と動揺して、「風情のある声を侍従のものと思い込んでしまったのだろう」とと聞きなさっていると、
私を尋ねるはずの人もいない、この渚の住の江に一体誰を待つといって、松風がひっきりなしに吹いているのだろう
と歌っているのを聞いてみると、姫君である。
「ああ、すばらしい。仏のご利益がはっきり現れたのだろう。」と嬉しくて、簀の子の方に寄って簀の子を叩くと「どのような人であるのか」と侍従が透垣の隙間から覗いてみると、簀の子に寄りかかっていらっしゃるお姿は、夜目であってもはっきりと見えたので、「ああ、驚き呆れることであるなあ。少将殿(姫君らは男君の位が上がって中将に昇進したことを知らない)がいらっしゃいます。どのように申し上げたらよいでしょうか」と言うと、姫君も、「しみじみと趣深く感じることです、少将殿は私のことを愛しく思っていてくださるのだなあ。そうではあるが、人聞きが見苦しいでしょう。私はいないものと少将殿に申し上げてくださいな。」と言うので、侍従が出て中将に会い、「どうしてこのようなみすぼらしいところまで来なさったのですか。ああ、とんでもない。あの後姫君が亡くなってしまって、私たちの心が慰めることができずこのように彷徨い続けていたのです。少将殿を見申し上げるに、いっそう昔のことを恋しく思っているようですね。」など侍従が思いつくままに言うので、たいそう悲しく、悲しみにくれて、物も考えることができず中将はますます涙を催す心地がしなさった。「侍従が、姫君のことを隠して来て、恨めし君嘘をおっしゃるものであるなあ。」と「姫君のお声も聞いたのになあ。」と浄衣のお袖を顔に押しあてなさって、中将は「嬉しさも辛さも半分半分であります」とおっしゃったので侍従はもっともだと思い、「そうであっても、お休みください。都のことも知りたいので」と尼君に相談すると「(高貴な方がみすぼらしいところに入るのは)滅多にないことである。ものの情を知りなさってください。まず、ここに入らせなさるのはよいです。申し上げよ。」と言うので、侍従は「無遠慮で失礼なことではありますが、姫君のゆかりである私の声をお訪ねくださったのでから、これに免じて。旅はそのようなこと(都と異なり馴れ馴れしい無礼なこと)ばかりであります。お入りください」と、中将の袖を引っ張って中へ入れた。