ピンポン | ポカポカの思いつき日記

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日常生活で思いついたことや思っていることを書き残すメモに近いブログ。

○コメントの返事
ぽんたさんへ
 コメント有難うございます。いつも見ている人は私の知り合いだけだと思っておりました。正直読んでいる人がいることが分かって嬉しかったです。今後も宜しくお願いします。



最近日本のピンポンが昔の強さを取り戻しつつあり話題に上ることが多くなって来た。私が小さい頃は日本がピンポンが強く結構テレビ中継があった。そして当時はカットマンと呼ばれるカット専門のもの凄い人がいて、この人の試合は非常に面白くよく見たものである。

カットマンは卓球台の後ろ2メートルぐらい離れ、そこから相手が打ってくるスマッシュをことごとくカットで返すのである。このカットマンの試合は本当に面白いものであったが、最近のピンポンではこのような試合が見られず残念である。


さてピンポンと言えば私には高校時代にちょっとした思い出がある。当時私の最寄の駅前にある老人が自分の趣味で始めた卓球場があった。私は中学生の頃からの友達と2人で暇な時によくこの卓球場に通ってピンポンを楽しんだものであった。

当然のことだが私とその友人とがやるピンポンは邪道そのもので、天井にわざと当てて入れる天井スマッシュやしりとりをしながらとか、あるいは相手の体にダイレクトで当てたら得点する、といった変則ルールで楽しんでいた。

こんなピンポンをやっていて半年ぐらい経った頃、この卓球場の持ち主のおじさんが我々のことを見かねたのか、あるいはいつも客がおらず暇だったのか分からないが、いきなり我々2人に卓球のコーチをし始めた。

このおじさんはバケツ一杯ピンポン球が入ったバケツを2つ持って来ていきなり強烈なサーブを打って来た。我々どちらか一方がサーブを返し、残りの一方が球拾いにまわるという感じになった。

このおじさんもう70歳ぐらいだったと思うが、非常に元気で延々とサーブを打ち続け、我々は交代でサーブを返すか球拾いをした。

そんなこんなでこのおじさん途中で何回か短い休みを挟みながら他のお客が来るまで延々とサーブを打ち続けた。やっと新しいお客が来たのは1時間半ぐらい経過した頃だったろうか。

私と友人はお互い膝が笑うぐらい疲労していたが、このおじさんはケロッとしていた。後で知ったことだがこのおじさんピンポンの有段者であったとのことであった。

この後私と友人とで話をしたのだが、恐らく我々のピンポンを馬鹿にしたような遊び方を苦々しく思っていたおじさんの怒りが爆破したのであろう、という結論に達した。これ以降は我々はこの卓球場に行った時には、普通にピンポンを楽しむようになった。

それにしても今思い出してみてもあのおじさんの体力は相当に凄いものだったと感心する次第である。