手紙の整理と言えば、絶対にこの人が出てくるとわかっていた友人がいました。

私が返事をしなくてもとにかくやたら手紙をくれていた人がいたのです。友人Sとしておきます。

Sは、中学と高校全クラス同じだった唯一の人だった気がします。(私は中高一貫校だった)

でも仲良くなったのは中学三年の時のグループが一緒だった時。そして高校になったらそのグループもなくなってはなれて、高2,3になって仲良しというよりは普通に話す感じでした。

 

Sは、高校を卒業してから病気になり、その後すごく苦しそうだった印象があります。

手紙を見ていて、彼女はなるべくしてなったんだなと、今ならわかります。

こんな考え方を、16歳とかそんなうちからしていたらそりゃ苦しかっただろう。

まあ、わたしもなんで生きてるのとかすごい考えていたのだけどそれを口に出すこともほとんど出来ないタイプでした。

 

 

 

多分高校2年の時に、私はSから毎月新聞という謎の手紙をもらうようになっていました。

こんな手紙とともに始まった気がします。

 

 

 

 

死ぬまで捨ててはいけぬって書いてある・・・

でも、今回思い切って捨てます。ごめんなさい。でもありがとう。

 

こういう、一方的な感じのものがたまに家に届くようになっていました。

学校ではほとんどその話はしなかったと思います。私が一番仲良かった友達も、この新聞の存在さえ知らなかったはずです。

直接手渡されたりは、絶対にありませんでした。

あくまでも本社から受け取っているということだったので、そういう感じで話ていた気がします。

私としては、この新聞が来るのは楽しかった、そんな記憶だけありました。

 

でも。今よく見ると結構闇が隠されているのですよね。

殴り書きのよくわからない文章とか、暴言みたいなものが、裏にあることがありました。

きっと当時の私はあんまり気にしていなかったはず。

 

 

こういうの、物語の誰かのセリフだと思っていたのですが、もしかしたらSの心の叫びだったのかもしれません。

後になるとそう思ってしまいます。

私、思ったのですが高校の時なんかは本当に思っていることを全く言わない人間でした。

さらに、そんなに感情がなかった。

だから友達からくるいろんなことを綺麗に受け流していた気がします。

あくまでも重くもなく、でも聞いていないわけでもなく、事実の一つとして受け止める。悲しみも嬉しみもそんなにない。

いや、感情がなかったというより殺していたんだろうな。これは家庭に原因がありますが。

助言とかそういうことはほとんど人にもできなかったと思うし、でも友達は好きだからただ聞いていたんだと思います。

だからこそ話しやすかったのかもしれない、ふとそんなことを今更考えました。

 

Sが入院した時のものが出てきました。

ちょっと今読んでものすごい泣きたくなりました。

 

 

 

 

この時、信頼してくれたことが嬉しかった、のかは正直覚えていません。

でも、大変な事になったとなんだか思い、友達を集めていそいで病院までお見舞いに行ったことは覚えています。

そして、そこで再開したSの姿が本当に誰かわからないくらい痩せていたのも、今でも思いだせる。

私は、なんだかんだいってSは強いと思っていました。

でもそうではなかった。

 

この後もSは立ち直ろうとしては苦しみ、それでもなんとか回復したいとずっと頑張っているようでした。

やっぱりものすごく深い考えをちゃんと、している。

これはもう20歳超えてからの話だと思います。

 

 

私は別にちゃんともしていなくて、ただバイトをしなくてはいけない状況だったからしていたのだと思います。

常に投げやりでした。

でも未来に対する希望が人一倍強かったからやっていられた。

 

私は10代からおかしいはおかしかったのですが、なんとかやり通し、とうとう精神的な病院に行ったのは21歳が初めてで、24歳で病名がついて薬も飲み始めたと記憶しています。

だからこの手紙をもらった時はまだ私は病気にはなっていなかったのかな。

私も病気になっていろいろあったからなのか、今はSはすごくいいことを言っているなあと、思います。

本当に苦労した人から出る言葉。

 

そしてわたしがこのままでは病気がひどくなると彼女はわかっていた。

 

 

2003年とあるので、15年前。24歳の私たち。

Sはもともと矢沢あいが好きで、私はNANAにはまっていた。

ナナと自分を重ね合わせて辛かった時期です。

私は多分がむしゃらに頑張っていた。でも、その方向はきっと間違っていた。

私は本来がまじめなので、早寝早起きも苦痛でもなくさぼるということができないタイプなのです。

君は若い、とSは私に言っている。昔の私に似ていると。

多分、この時Sはリタリンと言う薬を飲まないと動けないんだと、数時間おきにリタリンを身体に入れていて少し心配なほどでした。

リタリンが問題になる前です。光治療だとかも取り入れていたと思います。

二人で六本木ヒルズを見に行って、セレブすぎてなんもすることないねってぼーっとしていたのを覚えている。

 

でも、最後に会ったSは元気でした。もうリタリンも飲んでいなかったと思います。

その何年あとかもわからないのだけど、普通に洋服屋さんでアルバイトをはじめて、そこに遊びに行ったときもうなじんでいた気がします。

やっぱり彼女は強かった。自分で自分に打ち勝ったのかもしれません。

 

 

 

私は、どんどんSの望まない道を歩むことになったのでもう連絡もしなくなっていきました。

そっちにいっちゃだめだよーというSを振り払って夜の世界にも入ったし、悪い世界をたくさん見た。

今彼女は元気かな。

結婚とかしているのかな。

信頼できる人に囲まれて少しでも幸せになっていたらいいなあと、心の底から思います。

 

なんとか縁をたどればわかるんですけどね、あえてしません。

また会えたら、それは運命ということ。

私はまだSにそんなにいい報告ができないから、いい報告できるように頑張ろうかなと思ったのでした。

 

長くなったけど、何か少し越えられたかな。

 

新聞の中に一生取っておいてほしいポスターというものがあったので最後に貼っておきます