『誕生日』
その人が生まれた日
一般的にはお祝いをする

私は何故か、この誕生日という言葉に
過剰反応をする


小さい頃の夢がケーキ屋さんだった少女は
小学校3.4年生から家族の誕生日には
手作りのケーキを作るようになった。
市販のスポンジケーキに生クリームぬったり、生地から作ってみたり。
ロウソクやデコレーションに、凝ってみたり。

喜ぶ顔が嬉しかった
美味しいと言われることが嬉しかった

少し大きくなり気づきだす。
私のケーキは市販のもの

勿論嬉しい
美味しいし

けど、誰も作ってはくれなかった。


会社勤めをはじめてもその癖は抜けず
同僚・先輩にプレゼントするのは
当たり前だった

その顔が見れるのが嬉しい

無論私の誕生日に返りがない事もある

けど、喜びには代えがたかった


器の小さい自分を晒すようで嫌だけど
ある時思った

あの人達は
私と同じくらい祝ってくれてるのだろうか?
同じくらい思っているのだろうか?
同じくらいお金掛けてるの?
同じくらい手間かけてる?

そのうちに、
手間や金額や思いをはかりはじめた


そうなると、
自分が貰う側となっても変な気遣いをする

彼氏が出来てプレゼントしてくれると言われても、金額に目が行って
予算より少ないであろう金額の
“気に入った風”の物を選ぶのだ

金のかかる女とは思われたくなかった



極めつけには
誕生日を忘れる、覚えない相手

ここ何年かでジャストに連絡が来たのは1度だけ。プレゼントはコンビニスイーツ1回。
まともに『おめでとう』さえあったろうか?

私は待ってしまう
待ててしまうから
その日が終わるギリギリまでケータイが手放せない
翌日になったのを見計らってから涙に暮れる

もう私はこの人から愛されてないのだ
こんな、思いまでして傍に居られるのだろうか
価値も興味も、もう持たれてないのに

圧力が掛かった深海のように
肺がぎゅっとされ上手く息が出来なくなる
そのまま海底に放り出されてしまう

無価値感を公にしているので、
書いてても虚しくなるし、恥ずかしい。。


けど、
何故、素直に「今日誕生日なの」と言えないのか
何故、素直に「アレが欲しい」と言えないのか
何故、そこまで固執するモノをプレゼントしてくない人の傍にいるのか


エネルギー値の割に器のちっちゃい奴。