こんにちは!

PoeTickartのかなです。

 

今日は少し暖かさのある一日でした。

もう2月も終わりだなぁ…

 

人が生きているということは、自分を創造し表現しているということ。

 

何を食べ、どのような服を着て、

どんな内容の本を読み、

友人と何について会話をし、

笑いあって、

誰とともにいるのか。

 

「なりたい自分」をクリエイトし、それを素直に表現出来ていたらそれはステキなことだと思いませんか?

 

誰もが自分の「こたえ」を持つ多様な世界、誰もが自由に自己表現ができる世界はきっと、老若男女問わず誰にとっても生き易いはず。。。

そんなことを考えています。

こんな考えになるに至った私のこれまでの経緯をこれまで4回にわたって書いております。

うーん終わりません。

↓↓↓

 

絵を描く、表現することにまみれた眩しい時代…虹

 

社会の現実をちょっと知って心クサクサ時代…

 

仕事の価値、人の価値ってなんだろう…時代

 

転機はいろいろあるけれど…10年超の会社員生活を終えるきっかけ

 

 

 

前回からの続きです。

 

10年以上勤めた会社を辞めて、私は某国際協力の隊員になるための活動(というか、応募)を始めます。

 

応募すれば誰でもなれるものではなく、人によっては何度も何度も応募するそうです…でも、私にはそんな余裕はないのでチャレンジするのは1年だけと期限を区切りました。

 

ちなみに1年の間に2回の募集があります。

 

(ただその中で自分の応募できる職種や興味のある国からの要請があるかどうか、それも運という、ちょっとした博打感覚でした笑…会社は既に辞めちゃっているので魂が抜ける後々聞いたら、大抵の人は仕事辞める前に応募するそうな…。そりゃそうだよね、追い込み過ぎだよね)

 

簡単に説明しますと

そもそもの応募に必要な資格は、

 

・最低限の外国語の語学力(英検で言えば準2級レベルから応募可能だったハズ)

・健康な肉体

 

で、あとは職種や要請に応じて語学力の難度があがったり、別の資格が必要だったりとするわけです。

 

一次選考が書類選考(これまでの経歴と大量の作文が必要)、そこに合格すれば二次選考で面接。

 

面接は圧迫…という噂もちらちら耳に入ってきていましたが、噂に違わず(?)そこはまずまずの圧迫感。(怖いとかはないけれども、答えるのにしどろもどろなりそうな質問やら会話やらが。。。)

 

私は1度目は登録扱い(辞退者が出れば次に訓練に進めるかもしれないキャンセル待ち状態)

後がない2度目でなんとか合格、健康診断でひっかかって精密検査になったりしましたけど、事前の訓練に進むことが出来ました煽りギリギリ

ちなみに職種は「美術」です。

 

訓練は二か月半程を合宿形式で。

同じ時期に派遣される人たちで同時に行われます。

 

派遣される国で使用する言語をみっちり週6で朝から勉強、夕方は国際協力に関わる講義など…あとは実地で地域おこしに関することや活動をあれやこれや。

私はキルギスに派遣で、もちろんキルギス語を学ぶのですが語学の学習センスがホントになくて、習得に非常に苦労しました。

 

まず、周りについて行くのに必死(同じ国に派遣される人たちはみな私より10歳近く、もしくはそれ以上に若く。。。そもそもが皆、勉強できる…泣くうさぎ)。

 

毎日朝5時に起きて、夜は消灯時間になるまで、空き時間はずーっと勉強。学生時代にここまで勉強したことないよというくらい、体育音楽美術の三教科に支えられてきたお勉強が苦手な自分でも(?)追い詰められるとここまでやるのか、とびっくり。

そして、優しく根気のある先生のお世話になりまくりで…

 

出来ないということそのものには悩みがつきませんでしたが、一心不乱に、自分のやりたいと思っていることの為だけに勉強できるって、幸せなことですよね。

 

すごく有難い時間を過ごさせてもらいました。

そして、最終のテストにもパスをして無事に派遣が決定笑い泣きヨカッタ…
 

さて。国際協力という事業に参加するために私たちは語学以外に色々な講義や、レクリエーション・ゲームのような形でも色々な学びをしていくのですが。

 

そのなかで、興味深いゲームがいくつかありました。

(内容は公に出来ませんが)

 

それこそ、異文化の中で活動をしていかなければならない私たちに大切な、私だったら普段何気なく生活していては気付かないような

「視点」

を持たせるものが多かったです。

 

私のような一般人が遊ぶような勝敗のあるゲームは、基本は勝つことを目的としていて、その場での勝敗だけで全て。
 

が…

 

それはあくまでも”私”という単位での”あそび”

 

単位が変われば?舞台が違えば?背負うものが違えば?

 

利益をとるもの、多くを失うもの、勝ちや負け。

それらの意味することや内容が変わって来るわけです。

 

想像力を持って真剣に取り組めば取り組むほど、難しい。

全てを網羅するような正解は多分なくて、自分なりにその瞬間の答えを出さなければなりません。

 

そして、出した答えが全てではないということを知った時、更に一歩下がって自分や他の人を見ることが出来る…

これってちょっとデッサンにも似ているなって思ったりもしたんです。

 

デッサンは訓練的なところがあります。

視点を増やす、視る目を鍛える、冷静になる、目的の達成のための表現する…

 

異文化共生の中でもこういった視点が生きてくるんだ…とドキドキしました目

 

そう、それは、会社員時代に悶々としていた「視点を増やすこと」は、アート以外の分野でだって絶対に必要であるということを確信する出来事となりました。

 

飛行機

 

さて無事に訓練を終え、はるばる異国の地へ。

 

私が派遣されたのはキルギスの公立学校。

キルギスでは小学生から高校生の年齢の人たちが一貫で学びます。

図工や絵の時間があるのは1年生から7年生までで、専門の先生が教えるのはその中で5年生~7年生。

 

要請された目的はありますが、その中で自分自身はアートを用いて「視点を増やす」「視野を広げる」をひとつのテーマとして掲げ活動をすることにしました。

 

掲げたは掲げたんですけども…

 

学校のシステムも設備も日本とは全然違う

子どもたちももちろん違う

先生たちのモチベーションも違う

学習の(実質的な)目的が違う

 

 

違うことだらけ…!!

色々通じない…!!

 

もちろん、日本と同じように出来ないということは頭では分かっています。

 

が、”違うことだらけ””と分かっているのに自分の中のこれまでのことを一旦脇に置いておいて、フラットにするのが本当に難しく。

 

 

えっ??

さっき…

 

視点を増やす、視る目を鍛える、冷静になる、目的の達成のための表現する

 

会社員時代に悶々としていた「視点を増やすこと」は、アート以外の分野でだって絶対に必要であるということを確信する出来事となりました。

 

 

って書いてましたよね?

これが出来れば、自分自身をフラットにするのって簡単そうですけれども??

これまでと違う環境ならなおさら、そういうの、ばっちり活かせるんじゃないですか???

新鮮な出来事もいっぱいで、目からうろこで、視点が増えるんでしょ????

 

はいはい。

その通り。

て、その通りなんですけど…

 

 

頭で理解していても…想像以上にあらゆることが上手くいかないんです。

特に派遣当初は言語もままならず、それだけでもモドカシイというのに!!

 

そして。

一緒に働く同僚のキルギス人の先生は優しい方でしたが、悩み多き私をよそに、日本では考えられないくらいの超超超超マイペース。

 

授業の始まりに先生が居ないことはしょっちゅうで

 私「先生、今どこですか?授業ですよ」

 先「今向かっているから。先に始めてて」

という電話がお決まりみたいになっていました爆笑
 

日本人は時間に遅れないとか、真面目に仕事を行う人種であると思われていますし…一緒に仕事をする先生がいなくても、私が遅れるわけにはいかない!!これまでで培われてきた日本人に対する良いイメージを崩すわけにはいかないんだー!と力が入って、私自身がどんどんガチガチになって、空回りしていたんですね。

 

 

しょっちゅう遅れてくる件の先生が私に

「慌てない慌てない」

 

なんて言うので、いつも心の中で

 

―おのれー!一休さんか!!!むかっむかっむかっ

…と、怒りでツッコミを入れていたくらいで笑

 

 

そんなある時。

普段ならなんてことはない程度の些細な障害(?)の発生した授業後の職員室。

急に私の両目から涙がボロボロ出てしまうという出来事がありました。

 

その時職員室にいた先生たちは優しく「どうしたの?」と、わけも分からないのに慰めてくれましたが…

 

異文化の中でそれなりに面白く毎日を過ごしていたつもりの私。

 

そりゃびっくりすることや腹立たしいこと、たいてい活動は自分自身への課題ばかりが浮上するし、とにかく毎日色々ありましたが、自分が思っていた以上にけっこうストレスたまってた?!

 

…と、ようやくそこで自分の状態に気付くという…ゲロー

 

異文化・特殊な環境で、その中で”これまでの自分”を保とうとするばかりに、多くの視点をとりこぼし、視野も狭くなってしまっていたからこその焦燥や苛立ちにまみれていたのです。

 

想像すること、アートの面白さや有用性を伝えたい!どうすればそれが出来るのか?という思いばかりが先行。

自分のことは無自覚に棚に上げて、無視し続けた結果、自分でも気づかぬうちにストレスでいっぱいになってしまっていたという。

 

これじゃ本末転倒じゃないかと。

(会社員時代の二の舞ですね)

 

泣いてちょっとすっきりしたのか、モヤモヤが消えたわけではありませんでしたが、その辺りから、少し落ち着いて《郷に入っては郷に従え》でもいいや、ゆっくり構えられるようになってきました。

 

 

周りの観察も大事、でもその観察をする自分自身の観察を怠ってしまってはならないなと、本当に思います。

 

 

つづきます…

住んでいた町から乗り合いバスで一時間くらいのところにあるステキなところ。

山岳国のキルギス、手つかずの自然がたくさんあります。