195超越体験をすると好きなものも感動も夢もなくなるの?!
以下内容は
今朝インスタグラムで
先にアップした内容であるが
(思ったタイミングで行動する!実践だよ)
これはブログ記事としても
改めてアップしたほうがいいと思ったので
さっき読んだ〜
もあるかもしれませんが
アップさせてもらうでござる
※インスタと同じのは前半の少しで、そのあとの文章は新しく描いたもの
#100me
100人のわたしアートプロジェクトで
昨日たまたまうちの近くに
滞在されたので
奈良裕之(ナラユウジ)さんに
インタビュー
奈良さんとは
何年か前からご縁をいただき
天河神社などでの奉納演奏で
パフォーマンスを
ご一緒させていただいている。
様々な自然楽器を使い
音霊即興演奏を行う方だ。
かつてはメジャーミュージシャン。
ガイアシンフォニーにも登場されている。
外側からは知っているひとであるが、
インタビューをして初めて知る
その人の内側のことに
毎回大いなる驚きを感じる。
35歳の頃瞑想により
気づきを体験されたのちの
奈良さんの中には
あらゆるものに感動がない
という。
一見言葉はネガティヴと
間違われるかもしれないが、
一切の囚われ
良し悪し
を超えるとは
好きも
夢も
無くなるらしい
恐れもない
地震とか
楽しい!とかのたまうし
火山の生贄とかサイコー?!
そんなことを笑って言う
(ヤバイヨ 奈良さん!)
いえいえ
その笑える「変な発言」を
クローズアップするわけではなく
人は自分とは何か?と問い続け
答えを(体験として)得てしまうと
もはや
怖いも
嫌いも
ない代わり
好きなことも
夢も
感動も
何もなくなってしまう
(奈良さんの場合)
らしい。
それちょっと残念かも?!
悟りって
そういう交換条件なんですか?!
と思ってしまった。これ人間的思考です
奈良さんは
大いなるものに
使われて
演奏をするらしい
どうしたい
とか
こうしようという
意思やフォーカスがないという。
一見、共に演奏の場にいると
あるテーマを持って演奏を
されているのかと思っていたが
どうやらそういう次元ではやっていないそうだ。
同じ表現者として
とても不思議なところだったので、
改めてブログに書き起こしたでござる。
アーティストの自分にとって
一ついいことを聞いた
それは
制限はあっていい
という話。
制限を嫌っていたが
嫌う必要はないと
教えてもらえたことが
昨日のギフトだった
この調子では
私の探求は
まだまだつづく