180怒りの表現してる? | ゼロ詩人の自己愛エクリチュール

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このブログは社会的基準に合わせられない自分の存在価値を自ら認め、さらには愛するために、自己愛の完成に向けての書き物である。葛藤と矛盾する気持ちを認め、自分を限りなくどこまでも許せるまでの旅である。
詩で世界に、未来に貢献する活動を行っている。

きょうは

怒りポーン
テーマに
音楽表現を探求。




怒りといえば、ROCK!?
写真は先日までやっていたローリング・ストーンズ展




先生に
「きょうは怒りの表現を探求したいです!」お願い
と自分

というのは
この数日深いところに潜んでいる
怒りを探しているから。

言葉で怒りの感情に向き合うのもやってるが、今は
音の方が、
より、感情に、ダイレクトにアクセスしやすいと感じている。

今怒ってる?!わけではない。
むしろ
怒りに不感
になってるからこそ!
探している。

ピアノに向かって
「怒りを表現すると思う音」を
探る。

しばらくして
一つの音のパターンが見つかり、繰り返し左手で
その、一連の 音のパターンを
弾いてみる。

確かにこれが自分には
怒ってる
感じがする音。

それは自然に
三拍子のパターンだった。
(あえてなんの音かは書きません)

なぜ三拍子なの?

歩くリズムは四拍子
三拍子では歩けません
と、先生。

そうかー
怒ってると
歩けないウインク


ひとしきり試し、探求し、表現を試み、
連弾をしてもらい、


どうですか?

先生。

うーん
そうだなーショボーン
怒りのイメージには
近づいた

でも
怒りを全然表現してない
出来ないショボーン
ショボーン



怒りの存在には近づいた
そのイメージも分かった
でもそれを自分が表現するには
まだまだ
深いところにある
その存在を連れてくることは
出来なかった。

未消化です!

と先生に。



大丈夫
怒りは
誰しも見つけにくく出しにくいもの。
何度もやって怒りを出す練習をすると
出すことに慣れてくるから。





ということだった。
怒りを表現する
ことに慣らしていくしかない。



というか
私たちは
育っていく過程で
一度だって
怒り方の練習を習ったことはないし、照れ

まして怒りの表現を練習しましょうねー爆笑

なんて言われたことないですね。ゲッソリ


怒りは蓋をされてしまって
一人で怒っているのだ。





自分はこれから音と
言葉とで
自分の怒りの蓋を開けて
表現する練習をしていくよ!

これとってもエポック
これまで
美しいもの
いいもの
すばらしいものを表現しようとしてはきたけど
怒りって蓋をしてた!ショボーン

怒らない自分は偉い
と思ってた!

ここにきて蓋を外し始めたお願い
自分は
明らかにこれまでの自分とは別物だ!。お願い

続く