時間と次元の不思議出来事
昨夜
一通のメールから
次元、と永遠
を理解する体験が起きたことを
記録する。
一瞬の
とても不思議な感覚。
私 Tomokowatanabeは
次元について
無時間について
考えている
永遠の子どもである。
現在進行中のプロジェクト
100me 100人の私
に参加していただいた
繊細で自由な感性の造本家、
ブックデザイナーの
新島龍彦さんに、
昨日web状に乗せられるように
上がってきた
ポートレート作品を
メールで送ったことから
の出来事。
それは
上に添付した
ポエムポートレート。
新島さんとの
短いメールのやり取りを
添付しながら
書きます。
(ご本人了承済みです)
①
こんばんは!
ぉお〜自分の詩はこんな感じなのですね!
風の先へ行くのです
草の波の遥かへ
のところ、なんだか良いですね。
①への私の返信
未来を笑った風の先へ
ずっと先へ行く姿が
ヴィジュアルで見えたものを
詩にしています。
②
ずっと先に行く、
歩き続けることは
自分の理想の姿だなぁ
とじわじわ感じてきました。
そのイメージを詩に落とし込んでいるのですね。
風という名前をつけてあげました それから彼をみないのですが
という短歌があの時話したえーえんとくちからという短歌集に入っていたのを今日読み返していて発見しました。
②への私の返信
いま
ただメールの文を
ぼぅと読んで、
風という名前をつけてあげました
、、、
と読んでいたその時
その言葉は
私の書いた詩に
新島くんが返事詩をかいてくれた
と思って無意識にいたので
最後まで文面を読んで、
はたと
え?!
と驚きました。
まるで
私が新島くんを見ていた私の世界に
その人が重なって存在しているような
溶け合う世界を感じました。
感じましたではなく、体験です。
とても不思議な
素敵な贈り物
でも、
見なくなりませんでした
にしておきます
ここに何が
起きていたかというと、
私
少し前に
新島さんのことを
思いながらポートレート詩を考えていた。
私は脳裏に世界が見えるタイプで、
返信メールに書いたように、
どこまでも続く麦畑を左方向に
歩いていく姿が見えていた。
それから何回か言葉を感じながら詩を作った。
その時
新島さんの書いていた
えーえんとくちから
という歌集は見ていない。
その詩が出来た
時
というのが
存在するとして、
その時に
1未来の新島さん(の次元、エネルギー)と、
2その姿をありありと見ていた自分、そして詩が訪れる次元、と、
3はるか前に若くして亡くなっている歌人のささいさんが風の詩を書いた(の次元、エネルギー)
の3種類の意識が
同時に
落ち合った
時空の次元が
確かに存在する
時とは果たして
存在しないのかもしれない、
全ての出来事はそこにそのまま
在り、
そこにアクセスした意識が
それを体験する
という事が起きているのかもしれない
と
思えるような
不思議な出来事であった。
続く