6月2(日)~7日(金)、ブータンへ行ってきました。

 ブータンは、中国とインドに挟まれた小国。
 チベット系住民が多く、外見は日本人に似ています。
 北に隣接する中国・チベット自治区が中国に蹂躙され、
 西隣のシッキム王国はインドに併合されてしまいましたが、
 ブータンはなんとか独立を維持しています。
 東日本大震災後、2011年11月に日本を訪問してくれた国王夫妻に元気づけられた方も多いかと思います。福島の被災地にも来てくださいました。
 
人口70万、「幸せの国」として知られています。

 ブータンは国策として、インド人を除く外国人観光客の自由旅行を
認めていません。
観光客は事前に行動スケジュールを決め、
ガイドと一緒に行動しなくてはなりません。
1日1人200数十ドル(季節、人数による)の公定料金が課せられているほか、
ブータン航空は一切ディスカウントしないので、
日本から6日間の日程で往復すると、
最低でも1人30万円近くかかってしまいます。

今回も、1人US$230×4日、ブータン航空(バンコクから往復)US$960のほか、
日本からバンコク往復、ブータンビザ代、空港使用料などがプラスになるので、
仕方がないです。

実は、ブータンには2005年に一度、行ったことがあります。
 インド国境の町、プンツァリンだけはビザなしで入ることができるので、
バイクツーリングの途中、1日だけ入国したのでした。
そのうち、しっかりとブータンを旅しようと思いつつ、
旅行費用が高額なこともあって、10年以上が経ってしまっていましたが、
ようやく、踏ん切りがつきました。

けんいちの宿直勤務後、2日(日)の昼過ぎに福島を出発、
千葉・流山の実家に犬「ユキ」と車を預けて電車で羽田空港へ。
夜中のフライトでバンコクへ。
早朝到着後、ブータン航空に乗り換えて、ブータン・パロ空港に到着です。

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▲空港内にあった、国王ファミリーの肖像

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▲ブータン空港。伝統建築をデザインした建物です。

 空港には、ガイドさん、ドライバーさん、大学時代の友人・ひろこちゃんが出迎えてくれていました。ひろこちゃんはJICAのシニアボランティアとしてブータンに赴任中。
織物や染色などを指導しています。20代のころはやはりJICAの海外青年協力隊として、ケニアの田舎で2年間、住んでいました。
今回のブータンも2年間の予定。任期が今年10月までなので、
彼女がいる間にブータンに来ようと計画していたのでした。

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▲山がちな地形なので、空港周辺もこんな山が迫っています。
斜面には民家もたくさん



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▲パッチワークのような風景。点在する民家も立派なものばかり

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▲ちょっと順番が違いますが(1泊目の民宿を出発時)、
左からガイドのソナムさん、けんいち、ドライバーのウゲンさん、民宿のオーナー、大学時代の友人・ひろこちゃん、近所のおじさん、私。後ろが「ハ」村で泊まった民宿。

ブータンの人は、日本の着物に似た民族衣装を着ています。
男性は「ゴ」、女性は「キラ」。
けんいちと私も着せてもらいました。

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▲本当は、下はズボンではなくハイソックスと革靴です。

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▲「キラ」です。全然似合わん。

今回、ブータン旅行の手配は「マヤ・トラベル」さんにお願いしました。
けんいちがメールでやりとりし、いつも迅速に対応してくれました。
こちらの希望で、日程のアレンジをしてくれます。

【今回のスケジュール】
●6月3日(月) 0:20  羽田発 バンコク乗り換えでブータン・パロ空港着 
               「ハ」まで移動、「ハ」村内を観光 「ハ」泊(民宿)
●6月4日(火) チェリ・ラ(峠)からブルーポピー目指してハイキング
 首都ティンプーへ移動、市内見学 「ティンプー」泊(ホテル)
●6月5日(水) ティンプー市内見学、パロへ移動、パロ市内見学 
                                 「パロ」泊(ホテル) 
●6月6日(木) タクツァン僧院参拝(往復5時間)、パロ市内見学 15:00空港へ                                     バンコク泊
●6月7日(金) バンコク発、羽田へ

 ブータン3泊4日の短い日程でしたが、充実した旅でした。
 一般的には「ハ」ではなく、「プナカ」を訪れるのですが、移動時間が多くなってしまうことと、素朴な村だという「ハ」に魅力を感じたので、私たちのリクエストで組みこんでもらいました。

 長くなりましたので、【その2】に続く。