4月18(土)~19日(日)は「地平線会議」の移動報告会でした。

県外の方々に、福島の被災地を見て知ってもらおうということで企画されました。

参加者は37名。大型バス1台を借り切って被災地を見てもらいつつ、
楢葉町の被災者でいわき市に避難している渡辺哲さん、福島県民で被災地の給餌活動を続けている私、南相馬で震災直後から復興関連の仕事も手掛ける上条さん、バイクで東日本大震災の被災地を何度となく見ている、冒険王・賀曽利氏が交替で現状を説明する、という内容です。

備忘録と行程を記録するため、ごくごく簡単にレポートします。

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大阪から参加の3名を福島空港でピックアップして集合場所のいわき市へ。
福島空港は、ウルトラマンの作者・円谷プロの出身地なんですよ。
大阪からの飛行機は満席。ツアー会社の出迎えも多く、賑わってました。

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広野町と楢葉町にまたがるJビレッジの外周を回ってから、楢葉町にある渡辺さんの自宅へ。家のすぐそばに除染廃棄物の山があり、除染後の自宅を見せていただきました。避難時の状況なども当事者だからこそのリアルな話を聞くことができました。
今回のツアーの行程を考え、下見と様々な手配をしてくれたのも、渡辺さんでした。ご苦労様でした。

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天神岬にて。ノンフィクションライターの西牟田靖氏も参加。
近著「本で床は抜けるのか」(本の雑誌社)が好調。
ライダーでもあり、バイクで日本の痕跡を巡った「僕が見た大日本帝国」(情報センター出版局)はベストセラーになりました。


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天神岬のトイレ。まだ警戒区域だったころ、除染作業が始まる前はここを給餌ポイントにしていました。今はすっかりキレイになって使えるようになっています。
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 JR常磐線竜田駅。現在、ここまで電車が走っています。この先の不通区間、南相馬の原ノ町駅までバスで代替運行しています。つまり、自分の車じゃなくても、国道6号を通れます。

集合時間に間に合わず、JRでここまで来たメンバーをピックアップ。
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▲電車が止まっていました。折り返し運転でいわきに戻ります。


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JR富岡駅前。津波でやられたままの風景


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慰霊碑の向かい側に花が手向けられていました。

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夜ノ森の桜並木へ2日前は桜吹雪でしたが…。残念。
帰還困難区域のゲートの前です。

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ガードレールを跨いで帰還困難区域の叢で測った数値。高い場所もあります

この後、富岡ICから四ツ倉ICへ向かい、蟹洗温泉で宿泊です。
1日目はこれにて終了

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2日目は国道6号線を北上です。
双葉駅前通りのアーチを見物。本当は駐停車禁止なのですが、特別に停車。
このアーチ、双葉町が「老朽化で倒壊の危険があるため」、撤去する計画があるそうですが、標語を考えた人が負の遺産として残そうという運動をしています。
私も残すべきだと思います。


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2日目のメインは浪江町。スクリーニング場へ寄って防護服セットをいただきます。
観光バスでの許可証申請してあるので、一般車両が入れないエリアへ入ります。

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まずは海岸沿いの請戸地区へ。
いつも来ている慰霊碑に、こんな書き込みがされていました。
請戸を含む原発20㎞圏内の津波被災地では、津波で生き残った人も救助が入らなかったために亡くなった人も多いのです。そこが宮城・岩手と福島の違いなんですね。寝たきりの人が餓死していたとの話も聞きます。


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津波で被害を受けた請戸小学校。
皮肉にも災害時の避難場所に指定されていたんですね。

請戸からは国道6号の反対側、浪江駅へ。

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浪江駅近く。我々一行のほかは一時帰宅の家が1軒あったのみ。


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奥の家がおばあさんの自宅で、右は経営していたお店だったそうです。

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駅前通りは地震被害も大きく倒壊寸前の建物も多い


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無人の町にも春が来るんですね。

この後、飯舘村を経由し、福島駅で一次解散、いわき駅で2次解散となり、
滞りなく移動報告会は終了しました。

4月中旬の福島ツアーなのに、三春の滝桜も福島市の花見山も行かず、ひたすら被災地を回る行程でしたが、富岡駅前、浪江駅前など、震災時のままの状態で残っている場所を見ておくことは貴重な機会だったと思います。
除染、解体が進むと、見られなくなってしまいますから。

ということで、参加されたみなさん、お疲れさまでした。
22日(水)には、また別な方々を案内します。
「ぽこ観光」被災地ツアー、不定期開催中。