2015年2月21、22日は「地平線会議」の代表・江本氏らをお連れし、福島県民の私と楢葉町民で原発被災者であるWさんの2人が案内役となって、被災地を回ってきました。
4月18、19日に計画している、被災地ツアーの下見です。
「地平線会議」主催の福島被災地ツアーは今度で2度目。
前回は2012年7月、南相馬の「野馬追」に合わせての開催で、おもに南相馬から飯舘村を回りました。
今回は、旧警戒区域に絞り、楢葉から浪江町を中心に原発被災地を巡ります。
浪江町へ通行許可証を申請し、普通は入れないエリアも入れるうえ、震災直後から警戒区域へ通っている私や、原発被災者のWさんも同行するので、リアルな福島をお伝えできるのではないか、と思います。

2011年9月、震災半年後に江本氏を案内したときの記事
その①→http://blogs.yahoo.co.jp/pocoyuko2006/54004080.html


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▲豊間中学校。左が2011年9月。津波被害の瓦礫が校庭に山積み。右が2015年2月。もうすぐ解体されてしまいます。

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▲2011年9月、豊間のセブンイレブン。津波で流されて骨組だけの状態で営業していました。電気はないので、レジなどはなく電卓で計算。冷蔵品は移動販売のトラックで販売。今はすっかり治って普通のセブンイレブンになっています。

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▲津波被害が甚大だった豊間地区で、奇跡的に唯一残った神社。神社周辺を緑地公園にする予定で整備が進められています。

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▲天神岬公園から見た風景。除染後の土が入った黒いフレコンバックがどんどん増えていっています

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▲左は津波でやられた富岡駅。2015年1月に撤去されてしまいました。右が2015年2月の様子。白い建物は圧容施設(瓦礫などの容積を小さくする)だそうです。慰霊碑もあります。海側には除染で出た土などを入れる黒いフレコンバッグがたくさん。富岡町の除染はすごい勢いで始まっています。


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▲富岡駅は撤去されましたが、駅前の様子は変わらず。でも、遠からず解体されそうです。


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▲夜ノ森の桜並木。左は2012年4月の様子。右は2015年2月。家の周囲に足場が組まれ始めました。住宅の除染が始まっています。

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浪江・請戸港。この道路の先に第一原発が見えます。請戸地区は津波被害が甚大でしたが、原発の爆発によって立ち入りできなかったため救助が入らず、津波に飲まれて生き残った人もそのまま見殺しにされました。すぐに救助されていれば、助かった人も相当数いたはずです。福島が宮城・岩手と違うのは、こういうことなんです。

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つわものどもが夢のあと

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浪江・請戸漁港。

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 原発建設に伴う保障金はかなり手厚かったそうで、第一原発7.8号機建設に対する請戸の漁師さんへの補償金は1人数千万円だったとか。船を買ったり自宅を新築したり、繁華街までタクシーを飛ばして豪遊する人も多かったそうです。
請戸にはきっと立派な家が多かったんでしょうね。震災前を知らないので、想像もできませんが。
(7,8号機は結局建設されず)

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死の町。
解体業者が来ていたので、こうした建物も順次なくなってしまいそうです。
富岡駅も解体されてしまたし、ここも今のうちに見ておかないと、もう、二度と見られなくなります。

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こちらは南相馬市鹿島区の復興商店街。
残念ながらもう営業終了していましたが、南相馬は原町区を中心に賑わいを取り戻していました。

今回、給餌活動にも一部おつきあいいただきました。ありがとうございました。


追記:
福島原発被災地での給餌活動は人的・経済的にかなり逼迫しています。
葛尾村への給餌は1回2.5g袋30~40袋(15000円~20000円以上、毎週または月3回)、
浪江・双葉給餌は1回60~80袋(30000~40000円以上、隔週)となります。
給餌仲間からの支援と自腹でなんとかやっていますが、すべて自腹で賄う場合、フード代だけで月に12万円以上。それにガソリン代などが加算されます。
医療費、そのほかなども加算すると、限界もすぐそこです。

最前線で給餌活動するメンバーが一番欲しいのですが、なかなか定着しません。
せめて後方支援での応援をお願いしたいと思います。私がメインで活動している、葛尾村のブログに支援先をUPしていますので、前線活動はできないけれど、なにかの形で参加したいという方。ぜひ応援お願いします。

「かつらお動物見守り隊」のブログ