2014年7月15日。
 
 平日に動ける貴重なメンバー、ひろさんと一緒に原発被災地へ給餌へ行ってきました。
 
 ひろさんは埼玉県在住の美容師さん。
 
 3年前、震災直後にも被災地に入って残された犬猫のレスキューに関わってくれました。しばらく離れていましたが、また活動を再開してくれて、5月の葛尾に続き、今回も同行してくれました。
 
 ご自分の美容院で「震災復興応援メニュー」を設定し、それで活動費をねん出しているそうです。今回も、福島のことをもっと伝えなくては、と言ってくれました。
 
 本当に、来たこともなく、被災者の声も聴いてないのに福島をマスコミの報道とイメージだけで決めつけてしまう人がほとんどなので、困ります。
 福島ではみんな鼻血も出していないし、子供も公園で遊んでいます。学校のプールだって2年前から再開されています。みんな、放射線のことをわかったうえで、避難するリスクと留まるリスクを考えて残っているのです。
 
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▲震災直後からこのまま残っている車。原発が爆発して逃げようとしたのでしょう。地震で裂けた道路に嵌り、走行不能になった車。道路の割れ目から生えた雑草がまずます裂け目を押し広げていきます。
 
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▲死の町
 
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▲死の線路
 
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▲とある給餌ポイントのお宅。こんなに高い~。助けてー。ここは帰還困難区域だから仕方ないです
 
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▲人間が居なくなって3年あまり。町には野生動物がたくさん。よく見えませんが、左手にイノシシがいます。3組くらいのイノシシファミリーで、次から次へ横断していきました。
 
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▲今度は猿の軍団です。もともと津島地区にはたくさんいたそうですが、人間がいないので、活動範囲がさらに広がっているようです。ここは梨畑の近くです。
 
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▲避難指示解除準備区域では大がかりな除染が行われています
 
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▲そんな場所にも給餌ポイントがあります
 
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▲向こうに見えるのが除染したあとの土を格納する場所。あちこちにあります
 
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▲一見すると牧草地ですが、黒い袋の中身はもちろん牧草ではありません。
 
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▲死の町で生きる猫の命を繋ぐために、設置された給餌BOX。ここの住民の方が町の許可のもと、給餌レスキューしてくれているのです。
 
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▲ここにもあります
 
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▲雑草をかき分けて行きます
 
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▲貴重なフードがちゃんと猫に届くよう、野生動物対策で毎回、給餌器にいろんな工夫をします
 
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▲浪江町請戸地区。津波被災者の供養塔
 
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▲こちらも同じく請戸地区。警察関係の慰霊塔です
 
 
今回は福島県のMさんから提供していただいたフードと、「被災動物サポーターズ」さんが拠点に運んでくださったフード、そして私が「海外ツーリングフェスタ」や大学のクラス会のみんなにアジア小物を販売して捻出したお金で買ったフードを使用しました。協力いただいたみなさん、ありがとうございました。