またしても間が空いてしまいました。
 震災から3年間のペットレスキューについて振り返って書いた、「いぬのきもちねこのきもち」WEB版での記事を原文のまま載せます(WEB版では短くなっています)
●「いぬのきもちねこのきもち」での記事はこちら→http://pet.benesse.ne.jp/inunekonokoto/fukushima_vol1.html
 
 
 
 このブログ内での記事
 
 
2012年~2013年、避難区域再編
 
 2012年になると、それまでの20㎞という距離による単純な区域分けではなく、放射線量の数値に基づく避難区域の再編が始まった。
 
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 2012年4月に南相馬市小高区が、続いて8月に楢葉町全域2013年3~4月には浪江町の一部(役場への申請が必要)、富岡町の一部が「居住制限区域」、「避難指示解除準備区域」となり、日中に限られるが許可なしで立ち入りが可能になった。それまでペットを探す被災者の一時帰宅に同行したりするくらいの限られた活動だったのだが、許可なしで立ち入れる場所が増えるに従い、堂々と給餌保護活動もできるようになり、TNR(Trap Nuter Return の略。犬猫を不妊手術した後にもとの場所に戻し、一代限りの命を全うさせること)も可能になった。

 TNRに関しては、2012年に神戸のNPOが週末限定の被災動物の不妊手術専用動物病院を白河市にオープン。完全予約制ながら格安で請け負ってくれているので、資金の乏しい個人ボランティアにとっては救世主だ。福島県内の獣医ももっと協力してくれればいいのに、と思う。ボランティアも同様で、圧倒的に県外からの参加が多い。
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▲普段は私のHOBIOで出動するけれど、梵号のときも。1BOXは給餌レスキューに大活躍。車中泊使用なのでさらに使いやすい。下に水、上にはフードと捕獲機を満載。
 
 一方、放射線量が高くて今後5年間は帰還できないとされる「帰還困難区域」には、大熊町と双葉町のほぼ全域、浪江町の一部、富岡町の一部が指定され、さらに第1原発周辺の土地が国有化されることになった。
 

 また、20㎞圏内ではないが、放射能プルームの通り道で放射線量が高い浪江町津島地区と飯館村の長泥地区は新たに帰宅困難区域に指定され、そこに通じる国道にはゲートが設置されてしまった。

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▲国道399号線。浪江町津島地区と葛尾村の境に設置されたゲート。無人なので許可証があっても通行不能。2013年3月末までは自由に通行できたのに…

 私たち動物レスキューはこうした区域再編と道路情報に敏感に反応しながら活動している。現在は帰還困難区域、特に国有化される予定の大熊町と双葉町からのレスキューが最優先されている状況だ。
 
2014年、震災から3年後のペットレスキュー活動の現状
  避難区域の再編とともに、福島県内では警戒区域が解除された場所を中心に大規模な除染作業が続けられているほか、各種工事関係者や一時帰宅者などが増えたので、2011年に比べて現在の20㎞圏内は交通量が格段に多くなった。

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▲除染が進む旧警戒区域・楢葉町。除染廃棄物を入れた黒い袋が累々と並ぶ。

 幹線路の国道6号線も補修整備され、除染が進む楢葉町や南相馬市小高区には時間限定ではあるが、新たにコンビニもオープンし、朝は作業員で込み合う。
 交通量が増え20km圏内に入る人間が増える反面、動物の姿はめっきり少なくなった。
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2013年8月、楢葉町にオープンしたセブンイレブン。客層は警察や原発や除染作業員、一時帰宅の住民など。24時間ではなく限定営業(2013.9月
 
 
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▲震災以前から原発作業員の「下宿屋」が多かったが、現在は除染や復旧工事関係者の宿も新設されている(2013.9月)

 家畜やイノシシなど野生動物は殺処分、犬や猫の多くは保護されたためで、犬はほとんど見かけなくなった(2013年12月、2匹保護されました!)が、猫はまだ潜んでいる。震災後に産まれた命が増えたものの、3年近く経った今でも飼い猫が見つかるケースも少なくない。私たちの給餌で命を繋いでいてくれたと思うと、うれしさもひとしおだ。
 
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▲RVボックスを改良した給餌箱。イノシシに食べられないよう、少し高い位置に設置(葛尾村)。葛尾村は全村避難だが、立ち入りは可能なので、TNRを中心に進めていて、定期的に給餌に通っている。
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▲帰還困難区域・双葉町の市街地で2013年6月に保護された「ふたば」。「にゃんだーガード」のシェルターを経て、千葉県浦安市にある里親型猫カフェ「猫の館ME」の猫スタッフとして活躍、この3月に晴れて里親さんのもとへ。幸せをつかみました。
 
 
 ただし、イノシシやアライグマ、ハクビシン、カラスなどの野生動物に食べられてしまったり、これらの動物による民家への被害も問題になっていて、そのために動物ボランティアの給餌を快く思わない人もいないわけではない。
 
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▲理解のある住民の方も少なからずいて、こうして快く給餌場所として提供してくれています
 
 給餌レスキュー活動は住民と協力、連携することがカギなので、給餌許可をもらっているお宅の掃除もできる範囲で行い、給餌ポイントに暗視カメラを設置して餌を食べに来ている動物を確認し、犬や猫がいた場合は捕獲を試み、野生動物だけの場合は給餌を停止するというやり方を進めている。
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▲暗視カメラをセット。これでどんな動物が食べに来ているのかをチェック
 

被災住民が行動を始めた

 浪江町では2013年から被災住民と被災地の獣医さんが連携、町の許可のもと、帰還困難区域以外のエリアで動物ボランティアと一緒に給餌保護活動を続けている。
 富岡町でもペットを探し続けている帰還困難区域の被災住民が、給餌活動への正式な許可を求めて役場と交渉を始めていたりと、少しずつだが住民が声を上げ始めた。

 また、飯舘村や葛尾村などでは住民の意識も向上、動物ボランティアに対する理解も進み、連携をとりながらTNRを進めたり、給餌活動を続けている。

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▲葛尾村の自警団のプレハブ小屋で面倒を見てもらっているモップちゃん。現在は飼い主さんのもとへ
 
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▲同じく葛尾村の警備隊で面倒を見てもらっている猫。葛尾村へ給餌に行くときは挨拶がてらフードを支援する

 
あれから3年。福島はまだ終わっていない
 
 東日本大震災から3年。原発の収束作業同様、まだまだ終わりが見えない福島の被災地でのペットレスキュー活動。
 メディアに注目されなくなったためか、大手愛護団体のほとんどが福島から撤退し、現在は福島に拠点を置く小さな団体(主に個人が立ち上げた)と、限られた個人ボランティアだけが被災地に残された命を必死の思いで繋いでいる。

 
 多くの人にとっては、福島はもう過去のできごとかもしれない。
 でも、福島では多くの問題が解決されないままで、動物レスキュー活動も、まだまだ続いているのだ。
 
 放射能汚染に晒されながら頑張って生きている命がある。それを助けようともがき続けている人たちがいる。
 
 どうか、福島に目を向けて現状を知ってほしい。一度でいいから、原発で汚されてしまった「死の町」を実際に見て、感じてほしい、と思う。
 
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津波でやられたままの、JR富岡駅。ここは避難指示解除準備区域なので、誰でも許可なしで立ち入り可能(2014.4月)
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▲廃墟になった駅から望む太平洋。水平線上には豪華客船が浮かぶ。福島の海を通るようになったのに感動(2014.4月)
 福島第一原発同様、収束が見えない原発被災地でのペットレスキュー活動。
 いつまで続くのか、どこまでやれるのか、自分自身もわからないけれど、私なりにやれるだけ続けていこうと思っている。
 
(終わり)
 
 
 現在、私は「福島被災動物レスキューRAIF(ライフ)」というグループで活動するほか、個人ボランティアの方々とも連携して動いています。