昨日のことですが、2005年4月25日に起こったJR西日本の事故。
 毎年、TVやラジオでニュースになると、
 「ああ、この日に帰ってきたんだなあ」と思い出すのですが、
東日本大震災が起こったおかげで、すっかり霞んでしまった感があります。
 
 私たち夫婦は、まさにこの事故が起こった時間に、3年9ケ月に及ぶ長い旅を終え、上海から「鑑真号」で神戸港に降り立ったのでした。
 神戸・三宮からJRに乗ったときに車内放送で事故が起こったことを知り、大阪に着いたら、町中で号外を配っていました。
 
 乗船地の上海では日本人排斥デモが大々的に起こったし、なんだか波乱を感じさせる帰国でした。
 
 旅立ちの様子。新潟からロシアのウラジオストックへ船で渡りました
 
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▲ウラジオストック港。後ろの船で新潟から2泊3日の旅。
 
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▲ギニア・コナクリ。ツーリストずれしていない、素朴なアフリカの人々
 
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▲エチオピアのイケメンと一緒に
 旅の終わり。中国の様子
 
 
 2001年、出発前に家も車も家財道具も処分し、身一つで旅立ったので、けんいちと私は互いの実家に夫婦で転がり込み、落ち着かない日々。独身ならまだしも、いい年した大人が夫婦でやっかいになる情けなさを味わい、このとき、自分たちの拠点となる家を持たねば、と痛切に感じました。
 拠点をどこにするかもいろいろ考えました。
 お互いの実家からそう遠くなく、私の仕事の関係で東京へもなんとか日帰りができる範囲で、何より趣味のテレマークスキーのフィールドがたくさんあるということで、福島に決め、中古住宅を購入したのでした。
 
 車も2台買ったし、家財道具も揃え、バイクも買ったし、4年間の旅にかかった費用の倍以上も日本に帰ってから使ってしまいました。よくそんなにお金があったもんだ、と我ながら感心します。
 
 その後、東日本大震災で被災。我が家は大規模半壊となってしまいました。やっぱり波乱万丈でした。トホホ。
 
 そんなわけで、福島県民となってもうすぐ丸9年。10年目を迎えます。