3年前の4月22日午前0時。
 福島第一原発から20㎞圏内が警戒区域に指定されました。
 
 前日の4月21日、バス会社の社長M氏がボランティアで加須市の一次避難所にから双葉町の自宅にペットを残してきた飼い主を乗せてバスを仕立ててくれました。そのバスが発着するJR双葉駅から各家へ搬送できるボランティアを募集していたので、1BOX車を持っている私は万障繰り合わせて参加したのです。
 
 同様に搬送ボランティアをするという、いわき市内に臨時シェルターを持っていた、滋賀県高島市の動物保護団体「エンジェルス」のボランティアらと合流し、バスが到着するJR双葉駅前へ。
 
イメージ 1
▲JR双葉駅前。加須町から双葉町被災者の方を乗せたバスが到着。搬送ボランティアも集合です
 
イメージ 2
私は床屋さんを乗せて行きました。3年前は桜の開花が遅かったようですね。4月21日で散り始め。今年はもう散っているはず。
 
イメージ 3
床屋さんの店内。飼い猫の「フク」はどこにもいません。「フク~!」と呼び続けながら涙するおじいさんにどう声を掛けていいのかわかりませんでした。震災の日、猫たちは驚いて逃げてしまい、住民の方々が避難するまで戻ってこなかったそうで、ほとんどの飼い主さんは猫を置いたままでした。
 
イメージ 4
 双葉駅前に集められたペット。犬はけっこう生き残っていました。自衛隊や警察が鎖を外してくれたり、餌を与えたりしてくれたおかげだと聞いています。
 
 双葉町の方々をお見送りしたあとは、残されている犬猫をレスキューです。エンジェルスさんと連携して双葉町、大熊町、富岡町、楢葉町を回ります。
 
イメージ 5
 双葉町のペットショップ内で餓死していた子犬たち。放たれたペットは生き残れましたが、屋内に入れられた犬猫は餓死、共食いという壮絶な末路でした
 
イメージ 8
双葉駅前のアーチ。皮肉すぎるスローガン
 
イメージ 9
第一原発正門。間違って迷い込んでしまいました。このころ、線量はいったいいくつだったのか
 
イメージ 7
大熊町夫沢付近、第一原発から1㎞も離れていない民家。首輪が金網にひかかったまま餓死。外へでようとしたのでしょう。この家に居た3匹の犬はレスキュー。
 
 
イメージ 11
大熊町・JR大野駅近くの新聞店。このあたりは柴犬がたくさんいました
 
イメージ 10
最後は持って行ったフードをすべて置いてきました
 
イメージ 6
当時の国道6号線。あちこちに亀裂、陥没があり、パンクしたり嵌って動けなくなる車もたくさんいました。そうなると車を置いていくしかないので、慎重に走ります。現在は改修されてきれいになっています。
 
さきほど、そういえば3年前だった、と急に思い出しました。
あのころ、3年後もレスキュー活動を続けているとは思わなかったけれど…。
いつまで続くのかもわかりません。
 
当時の記事はこちら