ちょっと間が空いてしまいましたが、震災から3年間のペットレスキューについて振り返って書いた、「いぬのきもちねこのきもち」WEB版での記事を原文のまま載せています(WEB版では短くなっています)
 
 
2011年12月、ペットレスキュー目的の公益立ち入りが認められる
 
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警戒区域に置いていったドッグフード缶詰
 
 2011年秋ころから、被災住民のうち、事業主などは仕事で必要なものを取りに戻るという理由で、20㎞圏内への公益立ち入りができるようになった。一般の一時帰宅でも車での立ち入りが認められ、ペットも持ち出しOKになった。
 
 そうして2011年12月には、ようやくペットレスキュー目的での動物愛護団体の公益立ち入りも認められて、16団体が20㎞圏内へレスキューに入った。私も2つの団体の枠で許可をもらい、合計8日間活動した。
 
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▲何度もUPしているこの写真も、公益レスキュー時のもの。堂々とレスキューできたので道路の真ん中で捕獲器を使っています。他の公益や一時帰宅時ではこんなに大っぴらに活動できません。
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▲浪江町で給餌中。ここは現在も帰還困難区域
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▲内臓を食べられた放浪牛の死骸。仲間を悼むように他の牛が見守っていた
 
 ただし、正々堂々とレスキュー活動できたのはこのときだけで、某大手団体が違反行為のTV取材班を同行させたことが判明し、以後は中止となってしまった(あくまで噂なので真相は不明)。この公益ペットレスキューが継続されていれば状況はかなり違っていたのに、本当に残念で仕方がない。この大手団体は1年以内に福島から手を引いている。

 ほかにも寄付金目的のパフォーマンスで福島の活動をしたり、20㎞圏内をまったく知らずに参加、ただ単に入ったという事実を作っただけの団体もあったようだ。「フクシマの被災犬猫」というだけで注目を集めるからだ。
 
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▲JR双葉町駅前通りにあるアーチ。今となっては皮肉すぎるスローガン

 
 2012年になると、警戒区域の住民の協力のもと、公益立ち入りという名目で20km圏内に入れるようになった。住民の一時帰宅に同行してペットを探したり、給餌をするのもそれまでに比べれば格段にやりやすくなった。
 
 このころは20km圏内にはまだ餓死を逃がれ自由に放浪する牛がたくさんいたが、一時帰宅者や作業者の車との衝突事故や民家を荒らすなどの理由で、その多くは持ち主の同意のもとで殺処分されてしまった。そんな中で、浪江町の「希望の牧場」など、気概のある牧場主らが無駄死にさせまいと、懸命に命を繋いでいる。
 
 
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 大熊町のダチョウ牧場から脱走し、20㎞圏内を自由に放浪していたダチョウたちはまた牧場に戻され、ボランティア有志で給餌をしていたが、2013年初めには全滅した(2羽は富岡町某所で存命)。
 
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▲(左)2011.12月 大熊町にあるダチョウ牧場「シュトラウス」から脱走、JR富岡駅周辺を闊歩する「ボス」。車を見ると寄ってきて食べ物をねだる。凶暴な性格で、跳び蹴りを食らわされたボランティア多数。このときも同乗したHちゃんがやられました。このころ、同じように数羽のダチョウがしばらく警戒区域内を放浪していた。
(右)2012.2 大熊町にあるダチョウ牧場「シュトラウス」。「ボス」を含む放浪していたダチョウがまたここに戻されてしまい、しばらくするといなくなった。研究用に持っていかれたり餓死したりして全滅
 

 また、人間がいなくなった町では野生動物もたくさん闊歩していて、町中でもイノシシ、タヌキ、アライグマ、ハクビシンなどを見かけるようになった。特にイノシシ(イノブタ)の被害は甚大で、人家に入り込んで荒らしたり、ボランティアが置いていくペットフードを残らず食い荒らした。カラスやネズミも同様にペットフードを横取りするにっくき存在だが、彼らとて生きていくためには仕方のない行為なのだ。
 
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▲イノシシ、イノブタはキャットフードを根こそぎ食べてしまう
 
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▲路上にあった犬の死骸。カラス混じって猫も死肉を食べていた

 
 誰も住まなくなって1年も経つと、自然が猛威を振るい始めた。アスファルトの割れ目から生えた雑草が亀裂を広げ、民家の雑草もすべてを覆い尽くすような勢いで異様なくらいに成長していた。放射能の影響もあるのかもしれない。
 
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▲JR常磐線 大野駅~双葉駅間
 
 
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▲秋になると一面のセイタカアワダチソウの海になる。もう田畑だったのか空き地だったのかまったくわからない。2013.10 浪江町
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▲浪江町津島地区のとある牧場。犬の食事場だったのか、頭だけ残ったタヌキの死骸がいくつか転がっていた。背骨と頭以外は食べられてしまう