ぽこです。12日に同行した富岡町のSさん。2月8日にも同行したので、今回で2回目になります。
 富岡町内でアパートやマンションを経営していたのに、その保障なども東電からはまったく示されないままだそうです。
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▲Sさんと私。Sさん、ストレスによる病気のせいでこの1年で12キロもやせてしまったそうです。
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▲Sさんの家の前で弁当を食べるメンバー。あのー、ここの上で9μシーベルト/hあるんですけど…。誰も気にせず平気で地べたに座ってます。
 
 Sさん、震災後は郡山ビックパレット、弟さんの家、磐梯熱海の旅館など避難先を転々とし、現在はビックパレット横の仮設住宅に住んでいます。ここの仮設はペット可で、すぐ横に立派な犬舎もあります。Sさんも猫2匹を家の中で飼っているし、玄関先に犬小屋を置いている家もありました。
 
 ペット不可にしている仮設住宅もありますが、ビックパレットでは避難所時代もペットスペースを設けていたので、ペットに対する理解があるのでしょう。
 
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一時避難所だった昨年7月、郡山のビックパレットの一画に設けられたペットスペース。テントの中にケージに入れたペットを置いていました
 
 Sさん、富岡では23匹の猫を飼っていたそうです。捨て猫を拾い、避妊去勢して面倒みていたほどの動物愛護家なのですが、まだ10匹以上が所在不明。どこかに保護されているかもしれないし、まだ放浪しているかもしれない、と諦めずに探し続けています。
 去年の4月22日0時に20㎞圏内が警戒区域に指定される以前、自宅に戻れるとは思ってなかったとのこと(警戒区域指定前は誰でも入ることができました。私もバイクで入ったし、動物保護団体がペットレスキューで連日入ってました)。
 
 「あのとき戻っていたら、みんな保護できたはずなのに」
 
と今も悔しがっています。
「いずれは富岡でペットシェルターをやりたい」
というほど、保護活動にも熱心です。
 
 たしかに「戻ると避難所で村八分にされる」と言っていた飼い主さんもいたし、一時避難所には「放射能が周囲の人に移るので自宅に戻らないで」という貼り紙もありました。多くの盗難被害はこの間に起こったそうです。その家の事情を熟知する顔見知りの犯行も多いとの話。
 
 
 そんなSさん、自分の猫が見つからない中でも被災猫の里親にもなりました。
 県外の某シェルターを見に行ったときに、一目ぼれしたという「そらちゃん」。
 
 昨年8月に引き取り、しばらくは元気だったのですが、2月に猫伝染性腹膜炎を発症。ここしばらくは郡山の動物病院に入院し、毎日のようにお見舞いに行っていたのですが、おりしも、この日の夕方、病院から「そらちゃんが亡くなりました」との電話がありました。
 
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病院のスタッフが取ってくれた入院中のそらちゃん
 
そらちゃんはまだ3歳くらい。普通なら元気いっぱいの年齢です。
 
 Sさんによると、そらちゃんが保護されていた県外のシェルターでは、ひとつのケージにそらちゃんを含む猫7匹が収容され、同じ部屋には犬もミニブタも一緒に居たのだとか。臭いもひどくてとても清潔とはいえない環境だったそうです。しかも、そらちゃんの保護場所さえ、この団体では把握しておらず「双葉郡」としかわからないのです。去勢はしてあったので飼い主がいた可能性が高いそらちゃん。飼い主さんと会えないまま、命を落としてしまいました。
 
 このシェルター、昨年夏に病気が蔓延して多くの動物が亡くなったとの噂があります。
 
 そらちゃんに限らず、ここに収容されてしまったがために命を落とした動物も少なくないはずです。それくらいならば、他のちゃんとした団体に保護されるか、あるいは食べ物さえあれば圏内でも生きてこられたのです。実際、我々ボランティアや飼い主さん、そのほかが給餌を続けています。生きていればそのうち飼い主さんと再会できるチャンスもあったはず。やたらなレスキューはどうなんだろう? と思ってしまいました。