東京モーターサイクルショーから戻った翌日、急遽、浪江町津島地区への給餌。
今回はいつものJCN(ジャパンキャットネットワーク)ではなく、田村市大越町と三春町にシェルターを持つ動物保護団体「社団法人にゃんだーガード」のボランティアとして同行です。メンバ-は18、19日も富岡町へ一緒に行った「トクさん」、大玉村に別荘を持つ東京の「たろうさん」、三重からときどき参加してくれる「まさやん」と私の4名。
 
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▲手七郎部落。土管の中に給餌するたろうさん。
 
 今まではJCN(ジャパンキャットネットワーク)しか、津島地区へ入る許可証を持っていなかったのですが、「にゃんだーガード」でも申請、取得できたそうで、よかったよかった。
 といっても、4月1日以降は、いつ帰宅困難区域に指定されるかわからないからという理由で、当日に申請してその日の分の通行許可証しかもらえなくなります。去年、4月22日に20㎞圏内がいきなり警戒区域に指定されて入れなくなってしまった例もあるので、油断はなりません。
 
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▲赤宇木地区の最奥部あたり。15μシーベルト/hと高線量ですが、以前は20以上ありました。雪の遮蔽効果もあるものと思われます。
 
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▲3月16日にトータル4時間歩いて給餌した赤宇木最奥部。やっぱりまだ雪が残ってましたが、なんとか車で通れました。もう3月末なのですが。
 
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▲赤宇木に残されている「ちびた」も訪問。大勢来てくれてちびたも大喜び。古いフードを片づけたり、住環境を整備してあげます。
 
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▲こちらは「サンタ」。12歳。赤宇木に避難しないで残るGさんの飼い犬です
 
 警戒区域の見直しが始まっていますが、20㎞圏内でも低線量のため避難指示解除準備区域や居住制限区域に移行して立ち入りできるようになる場所もある一方、この浪江町・津島地区や飯舘村・長泥地区などは20㎞圏内ではないものの、帰還困難区域に指定されて5年間は立ち入り禁止になってしまう場所もあります。
 
 津島の住民の方は
 「線量が高かった今までは帰れたのに、線量が下がった今更帰れなくなるなんておかしい。こうしてときどき仮設から自分の家に戻って気晴らしできるのが楽しみなのに」
 
避難しないで一人残るGさんも
「こうして誰かが残って住んでいれば、避難したみんなも帰りやすくなる。だからここから出て行かないよ。今年は畑でいろいろ作物を作って放射性物質がどのくらい移行するのか実験する」
 
と話してくれました。Gさんのところは外が空間線量で6~8μシーベルト、家の中で1.5μシーベルト程度。13年前に3町歩の土地を購入して移住したGさん、家族はみんな避難したけれど、ニワトリや犬のサンタと一緒に田舎暮らし続行中です。原発事故さえなければ、平和な暮らしだったのに。
(ちなみにDASH村も、この津島地区にあります)