昨日、双葉町の住民の方々のマイカー一時帰宅に同行させていただきました。
 
 同行させていただいたのは、現在、加須市に避難しているIさん夫妻。
 
 まずは、朝9時30分に広野町体育館の駐車場に集合。
 そこから200mくらい下の体育館まで専用シャトルバスで向かい、受付をします。
 受付時に、通行許可証、防護服セット、個人積算線量計、無線、水(ペットボトル)が配給されます。
イメージ 6
 
▲左が無線、右が個人線量計。TOTALの被曝数値しか出ませんが、線量の高い場所に来るとピーピーと警告音が鳴ります。
 
 防護服に着替えてバスに乗り込んで駐車場へ戻り、マイカーに乗り、出口でチェックを受けてから出発です。滞在時間は最長5時間
イメージ 1
▲11月とはいえ、暖かかったので、この格好では暑いです。
 
 国道6号線のゲートでチェックを受け、一路双葉町へ。
 
 Iさんの奥さんは、自分の飼い犬と一緒に老人施設などを訪ねるアニマルセラピー
活動をやっていた方で、避難の際はすぐに戻れると思ってペットは置いていったそうです。その後、置いてきたペットは無事に救出できたのですが、小学生の娘さん、5匹の犬、猫2匹と一緒に6畳間のアパートで避難生活。双葉町では広い一軒家だったので、狭くて大変とのことですが、大型犬を飼えるアパートが見つかったのはラッキーだったと話しています。
 
 その、双葉町の広い家は、庭も雑草で荒れ放題。一時帰宅は3度めだそうですが、避難時のままの荒れた状態。地区単位での一時帰宅なので、近所の方も何人か戻られてましたが、みなさん、福島市内、新潟などバラバラに避難しているので久しぶりの再会だそうです。中には、まったく一時帰宅をしない人もいるのだとか。荒れた家を見たくないという理由なのかわかりませんが。
 
 Iさんの奥さんは、「こんなに荒れて、もう住めないわよね」
 ご主人も「戻れるのか戻れないのか、そのへんをはっきりさせてほしい」
 
 と言っていました。双葉町の臨時職員をしているご主人によると、来年春くらいには何かしらの決定がなされるそうです。
 
 
 地震で壊れたままの建物、人の気配がまったくない町を車で走りながら、違和感というか、なんだか変な感覚を味わいました。そんな町にも、ときどき犬猫が懸命に生きています。そういう命に対して少しでも憐れむ心を持っている我々と、そうではない人たち。仕方がないと済ませてしまえるのが不思議でなりません。
 
 
 
イメージ 2
▲庭の草刈りをするIさんのご主人。家の中に居た私たちよりも被ばく量はやや高い数値がでてました。
イメージ 3
▲2階の部屋の時計。地震後も10分くらいは動いていたんですね
イメージ 4
▲「東北じゃらん」が! りえさんのコラムが載っていました。※「東北じゃらん」は震災後は関東と一緒になって発行されてます。りえさんのコラムも復活しています
 
 Iさん夫妻の用事が済んでから、私の用事にも付き合っていただきました。理解のある方々のおかげで、また圏内の動物が少しだけ命をつなぐことができました。ありがとうございました。
 
 無線で帰宅を催促され、5時間ギリギリまで滞在してきました。累積被曝量は11μシーベルト。毎時に換算すると2.2μシーベルトなので、双葉町はやっぱり高いですね(我が家の周囲は0.4くらいなので、5時間だと2μシーベルト)。
 
 帰りは、検問を出る前に「道の駅ならは」でスクリーニングを受けます。
 ここに、なぜかすごい人数のスタッフが待ち構えていて、一時帰宅の車が戻ってくると、ワラワラと大勢で押し寄せてきます。こんなに居なくてもいいんじゃないか? と思えるくらいで、手持無沙汰風の人も見かけました。
 
 調べるのは車のタイヤと、人間は靴底部分。前回は全部、全身だったとのことですが、現在は地面と接触する部分だけです。
 
イメージ 5
▲スクリーニング後はこんな書類がもらえます。「大切な書類」だそうです。
 
 「道の駅ひろの」を出て、Jビレッジ手前の検問を通過したあとは、受付時と同じ広野町体育館へ行き、車から降ろされ、体育館で報告し、線量計など一式を返却し、防護服を脱ぎます。その際、なぜか防護服を脱がせてくれる係もいて、こちらは椅子に座って殿様気分です。そこまでしてくれなくても自分で脱げばいいじゃないと思うのだけど、東電による被災者様対策? でも、ここでもスタッフが大勢すぎるほど居て、いわきに避難している被災者さんも居ました。以前に聞いた情報では、この防護服を着脱させるアルバイト、高額なバイト料金らしいです。
 
 一時帰宅は今月末で終了。冬の間はないそうです。
 蛇足ですが、スタッドレスタイヤだと除染しても放射線量の数値が下がらず、持ち出せなかった例もあるようです。溝の奥に放射性物質が入り込んでしまうのでしょうか。
 
 ということで、貴重な経験でした。
 
 ※写真を撮れるような雰囲気ではなく、カメラを取りせず、ほとんど撮影できなかったのが残念でした