イランで日本人ツーリストが拉致されてしまいましたね。
 彼とは逆に、私たちはイランからパキスタンへと抜けたのですが、拉致された町、バムには私たちも泊りました。バムには世界遺産に指定されている「アルゲ・バム」(「死の町」という意味)の遺跡があります。
 2003年12月、この町を大地震が襲い、遺跡のほとんど、町の大半が崩壊してしまったのです。

 私たちが訪れたのはその8ヵ月後でした。町はまだまだ復興しておらず、人々はあちこちでテントを張って暮らしていました。そんな状況でも、バックパッカー向けの安宿、「アクバル・ツーリストゲストハウス」は旅人を受け入れていました。
 20あった客室はすべて崩れたものの、「来るツーリストを追い返すわけにはいかない」ということで、大きなテントを庭に張って、そこに寝泊りできるようになっていました。水道と電気は使えるので問題はなかったのですが、「10年かかってここまで大きくしたのにすべてパアになってしまった」、とオーナーのアクバルさんが悲しそうに話していたのが印象的でした。

 宿泊料も「UP TO YOU」とのことだったので、寄付をするつもりでガイドブックに出ていた額よりも少し多めに渡してきました。

 イランはいろいろ戒律が厳しいものの、アフガニスタンと違って危ない国という印象はなかったのですが…。蛇足ですが、イラン人はアフガニスタン人を見下している感じです。けっこうプライドが高い人種です。

 この事件のせいで、イランやイスラム国へ行くツーリストはますます減ってしまうんでしょうね。若い人が旅をしなくなった昨今、その傾向に拍車がかかるのが心配です。アクバルさんも商売上がったり。元気でいるかなあ。

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「アクバル・ツーリストゲストハウス」。大きなテントの中が寝場所。家族の居室だけはなんとか建てたし、トイレもシャワーも問題なく使えました

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アルゲ・バムの遺跡。崩れてしまったので入場料は無料でした

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バムから国境の町、ザヘダンへの道。イランの道は町を出ると何もありません。標識は次のガソリンスタンドまでの距離です。ガソリンは産油国だけに1リットル10円くらいと激安

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遮るものが何もないので、休憩のときはこうした橋の下に逃げ込みます。乾燥しているので気温が高くても日陰に入ればホッとひと息付けます

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女性は長袖、スカーフを着用しなくてはなりません。TVに出てくる女性も例外ではありません。スポーツをするときも女性はスカーフ&体の線が出ない長袖長ズボン姿。夏でもしかり。大変です

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外国人でも女性は同様にスカーフを巻きます。最初の頃、暑いので無視してTシャツ姿&スカーフなしでうろついていたら、厳重注意されるか、または男性にジロジロ見られました

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イランの電話器。数字までアラビア数字でした

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エスファハーンの「エマーム広場」。青い壮麗なタイルのモスクやマドラサが並ぶ観光名所

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エマーム広場の芝生ではたくさんのイラン人がピクニックを楽しみにきます。ピクニックはイラン人の最大の娯楽で、テントを張って中で休んだりしています

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パキスタン国境にあるザヘダンの町

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パキスタンに入っても同じように何もない道。路面はイランより悪く狭くなります。イランと違うのはもう一ヶ所。いきなり左側通行になります。パキスタンは以前英国領だったからなんですが、何も標識はありません

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イランの食べ物はあんまりおいしくない。付け合せのタマネギは生で食べます