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 ワールドカップ、もうすぐ終わりですね。
 今回、私がひそかに応援していたのは、アンゴラです。
 イランと引き分けて決勝リーグに進めませんでしたが、他のアフリカ勢を抑えてワールドカップに出場することそのものが、すごいことだなあ、と私は感心していた次第です。

 というのは、アンゴラは30年近くにも及んだ内戦が2002年に終わったばかりで、まだまだ復興途上なのです。私がアンゴラに行ったのは2003年6月、今から3年前です。内戦終結から1年後、外国人にビザを発給するようになってまもなくのときでした。
 それまではアンゴラに入国できないため、陸路でのアフリカ一周は難しかったのですが、私たちはホントにラッキーでした。入国できるといってもビザ取得がまた大変で、ガボンという国でやっと取得しましたが、一ヶ月ビザが100ドルもしました。
 
 ただし、ガイドブックもなければ情報もなく、行ってきたというツーリストにも会えずに手探り状態の旅だったので、宿を探すにも大変でした。何しろツーリストが何年も来ないのでホテルもなく、教会に泊めてもらうこともしばしば。まあ、それもいい経験でしたけど。
 それでも思ったよりはちゃんとしていて、首都ルアンダには高層ビルもあるし、ピカピカのトヨタやベンツも走っていました。とはいえ、内戦が激しかった内陸部から逃げてきた難民が首都の近辺で広大なスラムを作っていたり、舗装路だったはずの道路がガタガタに崩れていたり、戦車が打ち捨てられていたりするのを見ると、内戦があったことを実感させられました。

 また、アンゴラではいつでも人に囲まれます。何しろこの30年間、外国人がほとんどこなかったのでみんな珍しがるのです。そのぶん観光ズレしてなくて、西アフリカのように「カドゥ!(何かくれ)」といわれることもなく、みんな下心はまったくありません。きっと昔のアフリカはどこもアンゴラのようだったんだな、と思うと観光地化されることの弊害を感じます。
道端に止まる→人が集まってくる→TV局やラジオ局が取材にやってくる
というのが === アンゴラの法則 === で、私たちもラジオとTVに出演したようで、アンゴラの人たちに
「TVで見たよ」と声を掛けられました。

追記:アンゴラはアフリカではナイジェリアに次ぐ産油国です。アメリカ資本の石油会社もあり、資源も豊富です。そのために内戦になったのでしょうが、今後に期待できそうな国です。

<写真上から>
アンゴラの子供たち。写真に写りたくてどんどん寄ってくる
アンゴラにもバオバブの木が多い
ポルトガル植民地だったので、その名残りもあちこちに
道端に放置されたままの戦車
「地雷注意」の標識。まだあちこちに残っているので、むやみに道を外れたら危ない
かつては舗装路だったはずが、今ではこんな状態になっている
TV局の取材を受けるドイツ人2人と日本人の私たち。ポルトガル語の質問にスペイン語で応戦