ラヂオだ。前回の話はリブログを参照してくれ。
俺、ラヂオとおひちゃとの新婚旅行は筏での航海だった。
北の津波発生機の爆撃後、俺たちの筏はいったん丘に流されたが、その後引き潮に乗って沖に戻された。
俺たちの地方は親潮と黒潮のぶつかる潮目になっていて、海流はそこから東のメリケン国の方へ向かい、それがやがて南に回流し、東の方へ還流する。
最終的にはルソン、レイテ、ミンダナオなどの南方の海洋国家群のあたりに行くと聞いていた。
俺はおひちゃを救出するために、軍を出る際、想定できる生存のための道具類を背嚢に詰め込んでいた。
携帯海水ろ過機は実に重宝した。
布状で折りたためるし、目詰まりするまで1年は持つらしい。
予備もある。
目詰まりしても、雨が降った時などに、真水に晒しておけばいい。
これで飲み水には困らない。
釣り糸も釣り針も持っていた。
エサはイワシなどの小魚が勝手に筏に飛び込んでくる。
トドロキウオ、コトホギウオとかが捕れた。
1週間くらいで、筏に海藻や、貝が付いたのでそれらも食べた。
最低限の食い物は確保できた。
食料を取ったり、食べたり、お互いの体を洗ったりする以外は、ほんとにすることがなかった。
そのうち、俺も、おひちゃも陽光に晒されて日焼けした。
俺たちはたびたび脱皮した。
俺はおひちゃの皮をむくのが好きだった。
背中や、脚は広範囲に剥けるので、剥き甲斐があり、楽しかった。
俺はおひちゃが大好きだったので、剥いた皮を捨てるなんて、とんでもなくもったいなく感じた。
俺は皮をくちゃくちゃ味わった。
おひちゃの出汁は、俺をすごく刺激し、おひちゃを抱き寄せて、口を吸った。
おひちゃの股間まわりの太ももの皮をむいていた時、妙な気持ちになってきた。
俺は、おひちゃの実に女性そのものの部分に顔を埋めて、丁寧に舐めた。
俺はおひちゃの匂いも、味も好きだ。
おひちゃは喘いだ。
水域に流されて3日目くらいには、おひちゃも俺も随分と慣れてきた。
何が慣れて来たのかと言えば、愛し合うことだ。
わかるだろう?
男と女は究極のところそれしかない。
俺は軍の蒸気機関を修理したことがある。
ピストンが摩耗して出力が出なくなったのを、クロームメッキを厚くのせて、研磨しながらピストンとシリンダーのはめ合いを調整した。
たっぷりと潤滑油を塗って、摺動させた。
はめ合い調整が上手く行ったら、たっぷんたっぷん潤滑油を飛び散らしながらピストンとシリンダーは動いた。
まるで、俺とおひちゃがやってることみたいだ。
俺とおひちゃはまるでダンスするみたいに摺動運動に動きを合わせた。
水域では大きなおひちゃの喘ぎ声も誰も聞いてやしない。
俺たちは一日の大半をそうやって過ごした。
俺たちはそれで幸せだった。
でも、おひちゃは水域での筏生活が不安になるらしく、「ねえ、ラヂオ、もしラヂオに何かあって私からいなくなったら、私はすぐ死ぬからね。」
というようなことをたびたび言った。
それは、俺も同じだ。おひちゃがいなくなったら、俺は死ぬ。
そのうち島影が見えてきた。
どの国だろう?
妻 おひちゃ 14歳 漂着当時
