3.11の震災から5年という月日が経ちましたね・・・

まず、最初に被害が起きた午後2時46分・・・

合掌・・・

あの頃に比べて、現地の方たち皆さんハッピーに暮らせているのかな?

あの被災地は元の場所に少しでも近づいているのかな?

子供たち・・・本当に大丈夫なのかな?


た~くさんの思いがあります。

3年前、前長野市長の菅谷さん(元医師)にお会いしました。

菅谷さんは、チェルノブイリの原発事故の時に自らの意志で

病院を去り、そして現地に向かい、現地の病院でガン治療を

専門に治す病棟で5年間働かれていました。




その菅谷市長と「薬膳」・「食」と言うつながりから

お会いする機会を頂き、2時間近くお話しをさせて頂きました。

すっごい有難い機会ですよね!!!



とってもオープンで優しい方・チャーミングな笑顔の方・・・

そんな印象の菅谷さんでした。

菅谷さんは、チェルノブイリで何を見て、何を体験して、

何をするべきか、してはいけないべきか・・・を学んでこられたそうです。


だからこそ、長野市内の給食のメニューを直ちに改訂しました!

放射線量が多くなっているものを全て子供たちのために

給食から除去し、一切使わなかったそうです・・・


こんな判断、私達の区・市の長がすぐにしてくれるか?

出来るか???  

いやいや、行政だ、周りとの人間関係に~

と決して出来なかったでしょうね・・・

現にそんな事を自ら手をあげる市長は私の住まいの

地域には1人ももちろ~ん、いませんでした・・・


これこそ、菅谷市長だからこをやれたこと・・・

本当にそう思います。



そうして、あの震災がこれからの日本にどう意味するか・・・

その事もすぐに解ったそうです。


だからこそ、一人でも多くの人にその事を伝えていた・・・

訴えていたと・・・

でも、その声は全くと言っていいほど、届かなかったそうです。

一人ですることには限界がつきもの・・・




被災地で生活することが本当に可能なのか?

人々の心身の健康維持は保てるのか?

数年であの被災地は復興出来るのか???

常にその思いと葛藤していたとの事でした・・・


そして、廃校になった学校に東北地方から

被災者を無料で招き入れ、ずっとお世話をしてこられたそうです・・・

もちろん、市民の皆さんの協力も得て・・・

こんなこと・・・普通の市長なら出来る????


いやいや、出来ないし、やろうともきっと思わないのでは???




震災から5年経った今を見て・・・

被災地の方々が幸せに暮らしているのか?

被災地が昔のようになっているのか・・・

もう、5年も経ったから本当に大丈夫なのか? などなど・・・

一目瞭然で答えはわかる・・・よね~~

We still have so many things to do for Tohoku !!

They are not safe yet, so we are !!!


「多分誰も今迄こんな体験をした人はいないから、

想像でしか言えないし、そんなに甘い震災・人災ではない・・・」と。

あのときの市長の言葉・・・

ずっと忘れていない・・・


本当は、あの時のインタビュー記事と

放射能対策の食の事を併せて本にして販売・・・

と言う予定になっていたのですが・・・・

様々な理由から・・・ストップになりました・・・

あの本が出ていたら、

少しは何かの協力が出来ていたのかな~~~

な~んて思ったりもするけれど、

微力の力は中々世間に届かない・・・

やっぱり皆が一致団結しないとだね・・・・


でも、でも、「祈り」は大切ですね・・・


祈りの波動が相手に届くこと・・・

化学的にもきちんと証明されています・・・


震災に遭われた方の為に・・・

被災地で苦しんでいる方の為に・・・

みんなで「祈り」を続けていきましょう・・・


To be continued ....