たまたま、この記事にまた出会って(2014年の出来事)初心を思い出した
この事件を知ってものすごくショックだった…
今でもこの記事を読んで涙が出てくる
■小さないのち 奪われる未来
子どもへの虐待が後を絶たない背景の一つに「育児の孤立化」があるとされる。ある母子の悲劇を追った。
【朝日新聞デジタル】
「この子をこのまま置いておくわけにはいかない」
不機嫌になっていく交際相手の男性の様子を見て、24歳(当時)の女性はそんな気持ちになっていった。
3歳の一人娘は、別れた元夫との子ども。
同居を始めた男性は、徐々に娘の存在をうるさがるようになっていた。
この朝も不機嫌になってトイレに閉じこもると、ドアを殴って壊した。
夕方、保育所に娘を迎えに行った後、まっすぐ帰宅せず、近所の実家に寄った。
母に預かってもらいたかったが、娘が風邪気味でできなかった。
午後8時前、自宅アパートに戻った。
食器を片付けようと台所に行くと、娘が泣き始めた。
眉間(みけん)にしわを寄せ、大きなため息をつく男性を見て、娘とアパートを出た。
子どもを預けられそうな施設をネットで探したが、見つからない。
「この子がいなくなるしかない」そう思い詰めた。
午後10時過ぎ。
近くの川に架かる橋のそばに車をとめ、娘を両腕に抱いて橋の欄干に立たせた。
車が通るたび、娘を欄干から降ろす。3度目、娘を抱く手を伸ばし、宙に浮く状態にしてみた。川面からの高さは4メートル以上。娘はにこっと笑い、突然こう言ったという。
「バイバイ」
手を離した。ドボンという音が聞こえたが、その場を離れたくて車まで走った。
自宅の前で車を止めると車内で少し泣き、部屋に戻った。
翌日、橋の約1キロ下流で女の子の遺体が見つかった。
3歳の誕生日を迎えたばかりだった。
事件は2014年、日本海側の人口約8万人の地方都市で起きた。
弁護士や親族らの証言、裁判記録、事件後に県がつくった「検証報告書」などをもとに、その経緯を追った。
女性は21歳で娘を出産したが、夫の家庭内暴力(DV)もあり、娘が2歳のときに離婚した。その後、相談相手だったアルバイト先の男性と同居を始めた。
女性は娘の発達に不安を抱えていた。
周囲の子より遅く歩き始め、言葉もなかなか出ない。
アトピーとぜんそくの持病もあった。
かかりつけ医だった小児科医に「なんでうちの子は弱いの?」と何度も聞いた。
予防注射はすべて受けさせていた。
小児科医は「精いっぱい育児していたという印象」と話す。
「育児に疲れてイライラする」
事件の2カ月前、女性は市役所を訪れ、泣きながら相談員に悩みを打ち明けていた。
相談員は「1日1回、7秒間、抱きしめてあげて」と声をかけた。
女性は言われた通り娘を毎日抱きしめてみた。
娘は最初は喜ぶ様子を見せたが、育児のストレスは消えなかった。
相談から約1カ月後。
娘が発熱し、迎えに来るように保育所から電話がきた。
だが女性は「もう無理」と泣きじゃくって電話を切り、引き取りを拒んだ。
保育所から市に連絡が入り、児童相談所(児相)は娘を一時保護する方針を決めた。
しかし、実家の祖母が保育所に向かい、娘を引き取ったため、保護の決定は取り消しになった。
それから1カ月後、事件は起きた。
法廷で女性は「橋から落としてしまうことしか考えられなかった。最低なママでごめんなさい」と涙を流しながら語った。
この夏、女性の父親が取材に応じた。
育児に悩んでいた女性に「焦るんじゃないよ。笑える時がくるから」と言い続けたという。
どうにもならない時は「絶対に親に相談してくれるというおごりがあった」と悔やむ。
女性が市に相談していたことは事件後に知った。
「最優先は命。それだけを救いたかった」
女性は懲役9年の判決を受け、今は服役中だ。
両親への手紙には、常に謝罪の言葉が並んでいるという。
この事件、私の住んでいるところの近くでした
このニュースを見た時、最初はなんてひどい母親なんだと思ったと同時に、3歳の何もわからなかった子どものことを思って、切なくて…こんな悲しい出来事ってない…
こんな事件なくしたい、自分の子どもに手をかけるくらい追いつめられている母親を救いたいと思ったから、今私は学んでいるんだ
市役所に相談しても、保健師さんに相談しても、「あなただけじゃないよ」と励ましとも見放しともとれるようなアドバイスを受けて、どんどん追いつめられていく孤独な育児…
そんな同情みたいな、役に立たないアドバイスはいらないんだよ
孤独で追いつめられている母親を助けなきゃ…子どもの命は救えない
まずは私の周りからなくしたい
そのために私に何ができるのかな…
