小学生の国語の教科書を見せてもらったときのこと


「いま、ここをやっているの」

広げてくれたページから飛び出してきた詩

生徒さんの音読の後

私もじっくりと味わいたくなり、声に出して読んでみた


ゆっくりと

かみしめて

間を、取りながら。


・・・・・・・・・・


「われは草なり」  高見 順


われは草なり
伸びんとす
伸びられるとき
伸びんとす
伸びられぬ日は
伸びぬなり
伸びられる日は
伸びるなり

われは草なり
緑なり
全身すべて
緑なり
毎年かわらず
緑なり
緑の己れに
あきぬなり

われは草なり
緑なり
緑の深きを
願うなり

ああ 生きる日の
美しき
ああ 生きる日の
楽しさよ
われは草なり
生きんとす
草のいのちを
生きんとす


・・・・・・・・・・



「伸びられぬ日は 伸びぬなり 」


「伸びられる日は 伸びるなり 」


あるがままの命を生きる、それでいい、それがいい。

今の私が、出会うべくして出会った詩なのかな、って

なんだか考えさせられたな。。。

いろいろ、いろいろあるけれど

生きんとす、伸びんとす

生きていくことって素晴らしいな、って思えるような

でも

伸びられないときだってある

勢いのある日もある


ああ、それでいいんだな

それが、いいんだな、って。




子どもの頃にこの詩に出会っていたら、私はどんな感想を持っただろう。

いまを生きるこの子は、どんな感想を持ってこの詩に触れたのだろう。

次回も、もう少しこの詩についてこの子に聞いてみたい。