心ってどこにあると思う? ブログネタ:心ってどこにあると思う? 参加中

心はどこにあるのか?
脳の働きだからやっぱり頭の中?とも思うし
胸がドキドキしたり、胃がキリキリ痛くなったり、顔が火照って赤くなったり
心の動きって体のいろんなところに現れたりもするよね。。。
結論はズバリとは出ないけど、わたしをつくっている大事な要素。
自分の心の動きに、耳を傾けられる自分でいたいなと思います。
体が悲鳴を上げているのに、無理をするようなことがないように、ね。

さて、そんな私の大事な心のよりどころ。

毎月恒例、第一水曜日。
聖路加国際病院礼拝堂での「夕の祈り」に行ってきました。

今月のオルガニストさんはスロヴァキア出身のモニカ・メルツォーヴァさん。

チェンバロやピアノで弾かれることの多い、スカルラッティのソナタを
何とも可愛らしい音色で駆け回るように奏でたり
今宵の聖歌「日暮れて闇深まり」からの即興演奏では・・・
おおっ、次にこんな和声が来るのか?!なんてドキドキするような展開。
どこへ行ってしまうのか心配になっちゃうほど(笑)自由に手足を鍵盤に踊らせる。

最後にその聖歌の伴奏に続いて、後奏としてまたまた即興演奏の嵐!!
ノリノリな演奏にすっかり気分が上がりました。

引き続き上田司祭のお話。

『自分自身、こんな体たらくで天国なんか行けるはずがないよなぁなんて
自己嫌悪に陥ってしまったこともありまして。
そんなときに、イエス様の亡くなる直前の言葉がふと心をよぎったんですね。
「エリ、エリ、ラマ、サバクタニ(我が神よ、我が神よ、なぜ私をお見捨てになったのですか)」
天国=神様のいるところ、だとしたら
地獄ってどんなとこなのか。
すなわち神様のいないところなのか。
でも、神様に見捨てられ死んでいったイエス様は地獄にだってちゃんといるんじゃないか。
イエス様はどん底のさなかでも、自分と共にあるんじゃないのか。
そう考えたら、なんだかすごく気持ちが楽になったんですね。

どん底にいるときこそ、私たちは神様の栄光を表現できる存在である、って考えることができるんじゃないかなって、そう思うんです。

イエス様は私たちを救おうとするときに、周りの状況を変えて助けてくれるんじゃなくて、自分も同じ苦しみに身を置いて、惨めな死に方をされて、苦しむ私たちと共にいてくださることで、私たちがそこから抜け出すきっかけを下さるんですね。』

ざっとかいつまんでこんな感じのお話でした。

『エリ、エリ、ラマ、サバクタニ』は、マタイ受難曲の中でももっとも泣けるシーンのひとつで、
イエスの歌う旋律に続いてエヴァンゲリストがその意味を説明するように同じ旋律の調を変えて歌うんです。
もう物凄く泣けます。

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昨日の司祭のお話を聞いていて、この場面の音楽が頭の中にありありと鳴り響いてきました。
なんとなく調子が今ひとつで、疲れ気味だった私の心には今日のお話はとても迫るものがあり、ひとりハンカチで涙をふいていました・・・ら、

私だけではなく、常連メンバーもみなそれぞれに自分の状況と重ね合わせてぷち泣きしていた模様涙
みんな、生きてればいろいろいろいろあるよね、でもがんばらないと、だもんね。
そういう気持ちを共有しあえるのも、聖路加オフの幸せのひとつかも~。