こんばんは。
奈良市【やまなかみゆきピアノ教室】山中です。
久しぶりに、思い出した言葉。
邂逅 (かいこう)
意味は、ふいに巡り合うこと。
約五年前のブログに書きました。
この言葉は、『合言葉は83』でお馴染みの?(いや、お馴染みではないか。。今はどうしておられるのだろう、消息不明)の、当時、83歳の生徒さんから教えていただいた言葉。
詳細は、リブログしているので、そこからお読み下さい。
その『邂逅』の時代から、更に発展した今日(こんにち)、当時はまだ普及していなかったラインというものがあります。
ラインに『既読』がつかない。
電話をしても『応答なし』
当初は、多忙なのか、お約束をお忘れになっているのか、はたまたブロックされているのか…とも思いましたけど、
あまりに長い間、既読がつかないと、何かあったのでは?!と心配にもなり。。。
連絡がないのは元気な証拠…ってのも当てはまらない年齢にもなり。。
でも。。と気になりながら日々過ぎて、早、二か月が過ぎ、
以前、連絡がない、いつまで待っても連絡がない、いよいよ連絡しなくちゃ…としびれを切らして連絡してみたら、お亡くなりになっていた…っていう経験がある私は、もしも…と思うと、逆に怖くて怖くて確かめることも出来ず、
今日、最後の手段を決行してみたものの、意外な幕切れで。。
でも、、、生きておられる…ということだけは希望アリで←って、ややこしい書き方ね(笑)
これでいよいよ、連絡する手段が全て無くなりました。
あとは、あえて、ブログを書くことで、以前にも『邂逅』があったので、もしかしたら、どこかでこのブログを目にしていてくだされば…と思い書いています。
邂逅 っていえるものかどうなのか、切れたと思った縁?糸は、繋がっていたり、こっちが切ったと思った縁がやっぱり繋がっていたり、でもやっぱり切れているのかと思ったり…←ってまたまた、ややこしい。
いずれにせよ、もう私からは何もアクションを起こせないので、ご縁があるのなら、『邂逅』という瞬間を待つしかないのかな。。
人生には、人との巡り会い、巡り合わせが、偶然であり、必然である、今ある私の周りの人たちは、皆、必然の邂逅 だと思うのだけれど。。。
それでも、切れてしまう巡り合わせもあるんよね。
あの時、あの時…、って思っても、あの時は、戻ってこないから。
過去を振り返るのは、キライ。
前を向いて歩いて行こう。
後ろ向きは、歩きにくい(笑)