村上春樹作品で初めて読んだ『海辺のカフカ』は
サスペンス的な要素もあってかなり面白かったので
引き続いて
『ノルウェーの森』を読み始め
7月27日(金)に読み終わった
しかしこの作品は私には?と思う内容だった
主人公は「ワタナベ君」という大学生で
主に彼の19~20歳の揺れ動く青春時代が描かれている
舞台は学生運動が盛んだった’68~’70年代
「ワタナベ君」には高校時代の親友だった「キズキ君」がいて
その「キズキ君」には直子という彼女がいた
ところがその「キズキ君」が死んでからは
直子の精神状態がおかしくなってくる
東京の学生寮に入った主人公は
その東京で直子と再会し付き合うようになる
しかし直子は精神的に不安定になって
山奥の施設に入所してしまう
その施設で直子の世話をしているのが同室の「レイコさん」
その施設に主人公は直子を時々見舞いに行くが
学生寮では
東大の法学部に通う永沢という男子学生と仲良くなる
この永沢という男は破天荒な人間で
バーなどに行って女の子を引っかけてはホテルに連れ込む
主人公もちょくちょくその行動を共にする
その永沢さんにも「ハツミさん」という彼女がいる
その頃に主人公は大学で緑という女学生と出会い
交際するようになる…
というような話なのだが
後半になると
直子も自殺してしまうし
永沢さんの彼女のハツミさんも自殺する
その都度主人公の「ワタナベ君」は誠実に対応しようとするのだが
生前の直子とも緑とも性的関係を持つ
そして施設で直子の面倒をみていた
今でいうアラ40の「レイコさん」とも最後には関係を持つ
兎に角セックス場面が非常に多いのだ
何でこんなに細かい性描写が必要なの?
と思ってしまった
吉本隆明氏はこの本の書評で
フェラチオ、クンニリングス、マスターベーション、フィンガー・ワークというように、性器をいじることにまつわる若い男女の性愛の姿を、これだけ抒情的に、これだけ愛情をこめて、またこれだけあからさまに描写することで、一個の青春小説が描かれたことは、かつてわたしたちの文学にはなかった
と書いているが
私は逆に「これだけあからさまに描写する」必要があるのか?
と思ってしまうのだ
私もこの作品の背景と同時代に青春時代を過ごしたのだが
地方の大学に通っていた私の周りでは学生運動も静かで
私は当時はジャズバンドに熱中していたので
学生たちの政治に対する精神の高揚というものは殆ど知らない
ただ
性風俗とか性に対する意識というものが
それまでとはかなり変わってきてることは感じていた
当時の青春時代を描くには性描写は必要だとは思う
でも
物語の最後は旭川に旅発つ直前のレイコさんが
ギターを弾き終わった後
「ねえ、ワタナベ君、私とあれやろうよ」と弾き終わった後でレイコさんが小さな声で言った。
「不思議ですね」と僕は言った。「僕も同じこと考えていたんです」
といって20歳ほど違う2人は抱き合い
「妊娠しないようにしてくれるわよね?」
と言うレイコさんに
「大丈夫ですよ。安心して」
と言いながらもワタナベ君は
「中に何度も精液を注いだ」のだ
その性交を4回もしたという
これは一体何なんだろう?
ワタナベ君は誠実なの?
これが揺れ動く青春像?
この後レイコさんは旅立ってしまって物語は終わるので
レイコさんが妊娠していないのかどうかは判らない
でももし妊娠していたら
ワタナベ君はどう責任を取るのだろう?
私などはついそんなことを考えてしまうのだ
兎に角私にとっては「?」が多い物語だった
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8月に入った今日もジムに行ってきました。
ストレッチの後で35分間マシンラン。
いつものペースで5.4㎞走り、
汗で濡れたウェアを着替えたりしてから、
今度はテレビ付きマシンで30分間ラン。
同じようなペースで4.6㎞走り、
合わせて今日も10.0㎞になりました。
昨日少し痛みを感じた右膝内側も今日は何ともなくて、
安心して走ることができました。