現在の私には「友達」と呼べる人がいない
蒲郡市に住んでいるが蒲郡で生まれ育ったわけではないので
同級生もいない
名古屋生まれで名古屋育ちなのだが知多市に引っ越したりして
最終的に現在の蒲郡に住み着いたので
ずっと付き合っている仲間もいない
しかし淋しいと思ったことは一度もない
逆に
変な仲間意識で縛られることもなく
かなり自由に動き回れるので気が楽だ
知人はいる
特に
公務員を早期退職してカミさんと2人で始めた居酒屋に
足繁く通ってくださった常連さんたちや
ランニング仲間とは
既に居酒屋をやめて5年ほど経つのに
年に数回は飲み会をしている
だから「孤独」だと思ったことも一度もない
そんなときに出会ったのが

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下重暁子著『極上の孤独』(幻冬舎新書)だった
この本を読んで
下重氏が書いていることは
現在の私の生き方そのものではないか
と思った
下重氏は「はじめに」の中で

 孤独ほど、贅沢な愉楽はない。誰にも邪魔されない自由もある。群れず、媚びず、自分の姿勢を貫く。すると、内側から品も滲み出てくる。そんな成熟した人間だけが到達できる境地が「孤独」である。

と「孤独」を定義している
そして次のようにも書いている

 「孤独死はかわいそう」「できれば孤独死は避けたい」と耳にすることがある。
 ほんとうにそうだろうか。最期が他人から見て孤独死であったとしても、本人にとっては充実した素晴らしい人生だったかもしれないのである。

その通りだと思う
だから充実した素晴らしいと思える日々を
最期まで送れるようにしたいと思うのだ
そのためにはいつまでも自分の足で歩けるようにしたい
だから私は毎日のように走っているのだ
決してレースに出たいためではない
「第3章 中年からの孤独をどう過ごすか」の中では

 夫婦二人になったら二人の暮らし方があるだろうし、のちに一人になったら一人の暮らし方がある。
 たとえ二人とも健在であったとしても、もっと自由になって、一人のような暮らしを始めた方がいい。
 形から入ることがあってもいい。例えば今まで寝室を同じにしていたのを別々にすることも大事だ。
 子供たちが巣立っていけば、部屋も空くだろう。念願の個室を持とうではないか。
と書かれているが
これはもう何年も前から我が家では実践していることだ
カミさんは夜遅くまでテレビをつけっぱなしにして
その音声を子守歌代わりにして眠り
朝は早くからテレビをつける習慣がある
私は寝ると決めたら部屋を真っ暗にしてもちろんテレビも切って寝る
朝は自然に目が覚めるまで寝ていたい
こんな二人が同じ部屋で寝ていたら
どちらかが何かを我慢するしかない
だからストレスがたまる
それで娘が結婚して部屋を出て行って暫くしたら
私がその部屋で寝ることにした
すると何と快適なことよ!
気兼ねなく焼酎を飲み
寝ようと思ったらパタッと寝ることができる
朝もテレビの音に邪魔されることなく目覚めることができる
まさに快適生活だ
もう少し付け加えておくと
カミさんと私はできるだけ束縛し合わないようにしている
カミさんが海外のトレッキング旅行に行きたいと言えば
私は「どうぞ」と言う
「ダメ」と言ったことは一度もない
その間の食事や洗濯などで困ることはないから
愛犬の世話をしながら一人で気ままに過ごしている
(その愛犬も今では寝たきりになってしまったが…)
そんな関係だから
カミさんは自分のやりたいことを毎日しているし
私も好きなことをやることができている
カミさんの知り合いには
どんなことでもご主人の許可がないと
やらせてもらえないという人がいるそうだが
今時信じられない夫婦関係だと思う
そんなご主人ほど
奥さんに先立たれたら
一人で生きていくことができなくなるのではないか?
いずれにせよ
この『極上の孤独』からは新しい生き方を学んだというより
今の我々夫婦のあり方が
まさに「極上の生き方」をしているんだなあと
改めて確認できたと思っている
「孤独」は愉しい!

今日もジムに行ってきました。
トレッドミルを予約しておいてストレッチをし、
筋トレを2種類したらそのマシンが空いたので35分間ラン。
いつものペースで5.2㎞走り、
ウェアを着替えたりしてから今度はテレビ付きマシンで、
と思ったら今日も15分以上待たないと空かない。
仕方なくまた同じマシンで5.2㎞走り、
合わせて10.4㎞になりました。、
今日のカミさんは午前中は卓球教室に行っていましたが、
午後はジムに出かけていきました。
最近また足を痛めているので、
「今はプールがいい」と言っていました。