オリジナル小説「Pianoman」


第一章(3)「雅夫2」



ギラギラとネオンが輝く街を一人で歩いていると、自分自身が特別大人になったような、同年代の回りよりも先に 行っているような感覚がした。


強くなった気分になり、肩で風を切って歩くそぶりをする。


(今日のライブは客が最低だった、ノリ悪いし・・・)


今日は福岡県中央区の歓楽街「親不孝通り」(現在は親富幸通りと改名されている)にあるライブハウス「Black Neon」で、中学1年生の頃から一緒にバンドを組んでいるメンバーと出演していた。


ライブが終わると他のメンバーとは一言も口を交わさず、ライブハウスを後にし、ネオン街をブラブラと歩いた。


(大体あいつらが俺の足をいつも引っ張るんや、俺がこうしたいと思った通りにやれよな。)

ポケットから煙草を取り出し火をつける。親不孝通りと書かれたアーチがやけに目につき、イラつきを増幅させた。


(親不孝通りか、俺には不幸にする親なんかおらんから、こんな名前関係ないか。)


今日は背中に背負ったギターがやけに重く感じる、気持ちの重さの分だけ重量が増しているのであろう。


憂鬱な気持ちとどこかやり場のない思いが、歩幅を大きくする。


中学をもうすぐ卒業する。


高校もほとんど受験勉強をしないで済む、当たり障りのない高校を選んだ。


これから何をどうしたいのか、まったく分からなかった。


楽器を弾いている時だけがすべてを忘れさせてくれるような気がする。


それだけに集中すれば良い。


小学2年生の頃、両親を交通事故で亡くし、遠い親戚に引き取られた雅夫の境遇はお世辞にも良いとは言えなかった。


自宅の家には入れてもらえず、代わりに庭に建てられた三畳ぐらいのスペースがあるプレハブ小屋で一人暮らした。


窓も電気もないプレハブ小屋は、小学校低学年の雅夫にはとても怖い場所だった。


夜になると真っ暗になり、明かりなど何もなかった。


怖くなり、ふと外に出た時にほのかな明かりを提供してくれる月明かりが雅夫の心の支えであった。


小学3年生の頃、粗大ごみ置き場で拾ったエレキギター。


ビルローレンスのストラトキャスター。


壊れているかもと思い、そのまま自宅から近い商店街の楽器屋に持って行ったところ、なんとどこも壊れておらずそのまま持って帰り、死んだ父が残したギターの練習ノートを月明かりで照らしながら練習をしていた。


初めてバンドを組んだのは、中学1年生になりたての頃だった。


3年生の先輩たちと組んだのだが大喧嘩をし、1か月も続かなかった。


その後別のバンドに参加し、そしてその活動を2年間続けている。


(もうこのバンドはやめよう、高校に入ったらもっと分かる奴がいるはずだし。)


ぼんやりとバンドの事、高校生活の事を思いながら歩いていると、すれ違い様に肩がぶつかった。


溜まったストレスを解消できるとばかりに、一気に頭に血が昇る。


「おい!きさん!(貴様!)人にぶつかっといてなんつやー(しれっと)しよっとや!」


ぶつかった男は、40代ぐらいだろうか?ひょろっとした体形に、細長い顔、鼻下にわざとらしい髭をはやしたおじ

さんである。


突然の出来事に何が起こったのか分からないような顔つきで、こちらを見ている。


「謝らんか!きさん!」


雅夫はおじさんの襟首を掴み、ガンと顔を一発殴った。


「すまんね。それじゃな。」


そういうとおじさんは、殴られた頬をさすりながら、何事もなかったかのように歩き出した。


雅夫は、より頭に血が昇った。


(無視しやがって!)


雅夫は、去って行こうとするおじさんの肩を掴みもう一度殴りかかろうとした、しかしおじさんはその殴ろうとする手を掴み、雅夫の頭を押さえつけた。


「いい加減にせんか!ガキと遊んどる暇ないんや!」


おじさんはそう言い捨てると、ドンと雅夫を突き飛ばし去って行こうとした。


「きさん!待たんかぁ!」


雅夫は背中に背負っていたギターを手に持ち、ギターでおじさんに殴りかかった。


「ちょっ!またんか!お前!そんなもんで殴りかかるもんやない!」


ビックリしたおじさんはギターを右へ左へと最初は躱していたが、雅夫がやめないのを見て取ると、そのギターを

ガシっと掴み取り上げた。


「ギターはそんなんして使うもんやない!よう見とけ!」


おじさんはギターをケースから取り出すと、突然弾き語りを始めた。


アンプもつないでない、エレキギターの軽い弦の音と、おじさんが歌っている「ウイスキーを俺に!」という歌詞の

単語だけが耳にやけに残った。


雅夫はすっかり戦意を失いその姿を見ていた。アンプも通さない品疎なギターの音のはずなのに、せまる迫力

に雅夫は押された。


ネオンがおじさんの背後でまたたき、ギターを持ったシルエットだけが目の前に浮かんでいる。他の物は何も目

に入らなかった。


雅夫はその姿を、純粋にかっこいいと思った。


どれくらいたったであろう、ほんの1・2分のはずであるが、まるで1時間も2時間も聴いていたような感覚がする。


「おい!」


おじさんが呼ぶ声で、ふと我に返った。


不覚にも目から涙がこぼれていた、何が悲しいわけでもない、ふと涙がこぼれていた。


雅夫は心の奥底で、交通事故で死んだ父とおじさんを重ねていた。


死んだ父もよくこうして雅夫の目の前でギターを弾いていたものである。


しかし、雅夫にはその涙がなんであるか見当もつかなかった、心の奥底から湧き上がってくるものがなんなのか

を見ようとしなかった。


見たら自分自身を否定してしまうような、自分自身を失ってしまうような、気がしたのである。


事実、自分自身を今までそうやって守って来たのである。


雅夫は、呼ばれても答えられなかった。


涙を止めたいのに次から次へと溢れ出してくるのである。


「お前、音楽が好きか?」


おじさんは、雅夫の目線まで体をかがませ、雅夫の目をじっと見つめながら聞いた。


雅夫は、ただ黙って首を縦に振った。


「俺についてこい。」


その一言だけ言うとおじさんはギターをケースに優しくしまい、雅夫に手渡した。そして雅夫の腕をグイッと掴み

歩き出した。


オリジナル小説「Pianoman」


第一章(2)「雅夫1」


「それにしても重松さんがFor Goodをリクエストとはね・・・驚きました。」


雅夫はカウンターの向こうに座っている重松を見た。


いつもの明るい彼と違い、今日はどこか感傷に浸っているようだ。


「大切な人との別れがありましたか?」


「ん・・・まぁそんなところだ・・・それに今日はそういう日だろう?思い出すさ、俺はね。2月22日。忘れられん日だ。」


重松はたばこに火をつけるとふぅ~と煙を吐き出す。たばこの味を忘れたいのか、すぐにグラスを口元へ運ぶ。


雅夫はあまり話したくないことなのだろうと思い、それ以上聞くことはしなかった。


「もちろん私も思い出しますよ。当たり前です。今でもこうしてこの日は皆あの時のまま、変わったのはあいつがいないことと・・・」


雅夫は言葉をつまらせた、何か次の言葉を選んでいるようだ。ちょっとした沈黙の間、雅夫がグラスを拭くキュッ

キュッという音だけが耳に残る。


「あとは私たちのしわの数ぐらいでしょうか。」


「違いない。」


重松はニッと笑って見せると、たばこの火を消し、カクテルをもう一口飲んだ。


「あぁ、本当に何も変わってないな、あの時の面子のままだ、まるで時が止まっているようだぜ。それにしてもあれから8年か・・・もう10年近くたつんだな・・・早いもんだ。」


「私と重松さんが出会ってからはもう10年以上になりますね。本当に早いです。本人としては・・・何も変わってないつもりですけどね。」


「バカ言うな、お前はガラリと変わったよ。少なくとも・・・あんな腐った目をしてやいない。」


カランカラン。


「まさちゃーん!ひさしぶりー!」店のドアが開くなり女性2人の甲高い声が店中に響いた。


「おそいじゃないか!待ってたぜ!こんな大切な日に遅刻か!?」


重松は女性2人組の方へ振り向くと、こっちこっちと手招きした。2人組は他の常連客に軽く挨拶をしながら店を

奥へと歩き、重松の横の席へ当たり前のように座った。


「お待ちしていました絵里さん、優奈さん、久しぶりですね今日は本当にありがとうございます。」


「あら!この大切な日に私たちが来なくてどうするの!来るわよ!」


優奈は雅夫が出したおしぼりを受け取りながら失礼ね!という感じで絵里に同意を求めた。


「当たり前でしょ!しげさん!私たちしげさんから連絡もらわなくてもここからの招待状だけでもちろん来るわよ。しげさんったら、お前ら絶対来いよ!なんて電話してきてさ。」


絵里は重松の肘を小突くと、雅夫に舌をペロッとだし笑いかけた。


「お前たちももう今は結婚してんだろ?旦那に止められないかと思ってな・・・」


「あら!しげさんから携帯に電話があった方が、誰からだ!なんて聞かれて迷惑だわ。」


ニヤニヤしながら優奈が答えた。重松はおどおどした感じで何やら言いたそうにしているが、こらえているようである。


「あいつは幸せものです。皆にこんなに好かれて。それに重松さんを追い込めるのは優奈さんと絵里さんだけですよ。重松さんは御二人のどちらかと結婚しなくて良かったですね。尻にしかれっぱなしだ。」


「うるせいなぁ・・・お前も口だけはあの頃と違って達者になったな!この野郎。」


「そりゃあなた方に、もまれましたからね。達者にもなります。」


雅夫は絵里と優奈にメニューを出し、笑いながら答えた。


「絵里さん優奈さん何にします?」


「そうねぇ・・・あの日は大雪だったから・・・雪国にしよかな。」


絵里は何かを思い出すように遠くを見るような目をしている。優奈も同じことを考えているようだ。


「私もそれでいいわ。」


優奈も同じ雪国を注文した。


「かしこまりました。確かに大雪でしたね。」


雅夫は、カクテルに必要な酒を棚から降ろし、シェイカーに注ぐ、シャカシャカと振りグラスに注ぐと2人の前に差

し出した。


「ねぇ、まさちゃん覚えてる?あなたが初めてこの店に来た日、マスターが顔にあざ作ってさ。私たちもあの日が

初めて来た日だったんだけどさ、まさか初めてであんなサプライズとはね。」


優奈は口元にグラスを運びながら話した。


重松のたばこの煙が辺りの空気の流れを教えるように漂っている。


店に流れるBGMと喧騒の中、ゆったりとした時間が流れていた。


「そうですね、覚えていますよ。あれがなければ今頃どこかでのたれ死んでいたかもしれないですね。私は・・・もちろん絵里さん優奈さん、重松さんがいたのも覚えています。」


「おおっ。あれは痛かったぞ!雅夫。酷いもんだよ、ちょっと肩が触れただけでギター振り回して殴りかかってくるんだからな。」


いつの間にか雅夫の横に来ていたマスターが、雅夫の頭をバシッと叩き会話に入って来た。


「恥ずかしい過去ですよ。でもその過去があって今の私ですね。あの頃の私ときたら本当に・・・」


雅夫は頭をさすりながら答え、なんとなく店の入口へと視線を移した。


まるであの頃に戻ったような感覚に陥っていた。


この店へ、初めて来たとき。人生を大きく変えた瞬間。


あの時このドアをくぐらなければ、まったく別の人生を歩んでいたのだろう。


オリジナル小説「Pianoman」


第一章(1) 「拾ってきた」


「聞いてよ!それがさぁ、あのバカ課長のやつ・・・」


隣に座っている2人組の女性。


どうやらよくある上司の愚痴というのをこぼしている。


私は一人で来ているため、バーテンが忙しそうだと何もすることがない。


とはいえ回りの客の人間模様を観察するのもこういう時は楽しいものだ。


「昨日言ったことと、今日言ってることが全然違うっつーの!」


「ホント頭にくる!それにさ!あいつ・・・」


私は片耳でぼんやりと聞いていた。


そういえば私も、サラリーマンをしていた頃はこうしてどうでも良い愚痴を同僚とこぼしあったものだ。


こういうものは大抵の場合、後から思うとどうでも良いものである。


フリーのライターになってからというもの、こういう愚痴とはほぼ無縁になった。


もちろん別の面倒くさいものがたくさんあるのだが・・・。


「何にします?」


「ん?」


「グラスが空なので。」


「ん?あぁ、ハイボールを頼むよ。」


「かしこまりました。」


私は空になったグラスをバーテンに渡し、たばこに火をつけた。


「なぁ、マスター遅いな。ちょっとそこまでの買い出しなんだろ?もう1時間になるぜ。」


バーテンは私に作るカクテルの材料を棚から降ろしながら答えた。


「そうですね、遅いですね。」


そういうとバーテンは、会話が面倒臭さいと言わんばかりに、カクテル作りに集中しはじめた。


このバーには従業員が2人いる。


このバーテンはアルバイトの勇作、福岡大学の2年生だ。


正直あまり客商売には向かないタイプだと思う。


会話はどうやら苦手なようだし、明るい性格ではない。


そして特段特筆すべき特徴がある人間でもない。どこにでもいる普通の学生である。


もう一人が、このバーの経営者。


縦長い顔に丸メガネ、ひげもじゃの少し風変わりな男である。


年は42歳。


ほとんどの者がマスターと呼ぶが、中にはマリオなんて呼び方をするものもいる。


このバーに来る客の目当ては9割方このマスターにある。


彼はここの経営者であるが、同時にこのバーのピアニストでもある。


そう、ここはピアノバー。


今時ピアノを生演奏で聴かせる店などなかなかない、そのうえ腕もなかなかのものである。


初めて来たのは、以前の職場の同僚に連れてこられてだったのだが、今は私だけが毎日のようにここに顔を出

している。


「ハイボールです。」


勇作が作り終えたハイボールをすっと私の前に出した。


「忙しそうだね。」


「いいえ、なんせ僕だけで回せますから。」


「勇作君が優秀だからさ。」


そんなことないですよという表情をして、勇作は別の客の注文を取りに行った。


出されたハイボールを手に取り、一口飲む。喉が少し焼ける感覚。


このぐらいが私にはちょうど良い。


たばこを手に取り火をつけようとしたその時、店のドアが開いた。


「おい!マスター遅いじゃないか!待ってたんだぞ!」


他の常連客が帰って来たマスターに声をかけた。皆の視線がマスターに集まる。


と同時にもう一つの事に気がついた。


マスターの顔に殴られた後のような青たんが出来ている、そしてその後ろに中学生ぐらいであろうか、一人の少

年がうつむいて立っていた。


「いやぁ・・・またせてすいません。ちょっと野暮用で・・・少し店の奥に失礼します。」


他の常連客もその後ろにいる少年が気になるようだ。


「マスターその子は何?だれ?」


私の横に座って愚痴をこぼしていた2人組の女性客が聞いた。


「拾ってきた。」


それだけ言うとマスターは少年の手を引き、店の奥へと入って行った。


私はこの時の少年の顔を今でも覚えている、髪はぼさぼさに長く、細身で身長もそんなに高くない、ギターであろ

うか?楽器を入れるソフトケースを背中にからっている。


一見どこにでもいそうな少年なのだが、驚いたのはその目つきである。


私は私の後ろを通りすぎる少年と目があったのだが、その鋭さに鳥肌が立った。


あんなすさんだ目つきをしている少年がいるのだろうか?当時はそう思い、恐ろしくまた哀れに思ったのである。


しばらくして、マスターだけがカウンターに戻って来た。


「マスター遅かったね、それにその顔の青たん、さっきのあいつかい?警察に突き出すのかい?」


マスターはおしぼりをカウンターの下から取り出し、私に手渡した。


私の顔色を見て、何かが起こるかもしれないと期待して手に汗を握っているのをマスターは感じ取ったのだろう。


「いやいや!確かにあいつだが警察なんぞに突き出したりせんさ。言ったろ?拾ってきたんだ。」


そう言うとマスターはビールをジョッキに注ぎ、グイッと一飲みした。


「カァー!それにしても久しぶりにぶん殴られた!こんなに痛いもんかね、重松さん。」


「いやいや・・・俺も殴り合いなんか久しくしてないよ。」


私もグイッとハイボールを飲みほし、マスターにもう一杯注文した。マスターはグラスをひっこめ、段取り良くカク

テルを作り始める。


「それどころかね、あいつをうちで雇おうと思ってるんだよ。どう思う?」


私にハイボールをすっと出しながら私の目をじっとみる。


これがこのマスターの良いところ、というか私が惹かれるところである。


彼は、真剣に楽しそうに話すとき必ず相手の目をじっと見る。


それが彼の正直さや彼の性格をすべて物語っているように思えるのである。


私は出されたハイボールをグイッと一口飲み、喉が焼ける感覚がおさまってから答えた。


「どう思うって、未成年だろ?あれ。」


「今年の4月から高校生のようだ。」


「親御さんだっているんだろう?」


「今から連絡するさ。あいつが本当の電話番号を言ってればいいけどね。」


「問題だぜ。」


「お前さんが何も書かなければ問題ないさ。」


「・・・」


「そうだろう?」


「書かないよ。」


「ありがとう。」


そういうとマスターは自分のビールジョッキを私のグラスにカチンと当て、ビールをグイッと飲み干した。


私の手のひらから汗がすっと引いて行く。


「ところであいつを雇ってどうするんだい?」


私はたばこに火をつけながら聞いた。


「うちの店のピアニストにするのさ。」


マスターは私の目の前の吸い殻がたまった灰皿を新しいものに取り換えながら答えた。


私は一瞬マスターが何を言っているのか理解出来なかったが、彼のニヤニヤした表情を見ているとどうやら本気らしい。


「ピアニスト!?あのすさんだ目の奴をかい?そりゃあ無理だろう。」


「そんなことないさ・・・」


その後しばらく沈黙が流れた、今度は隣の2人組の女性客が私たちの会話に聞き耳を立てている。


さっきまでとは立場が逆になったわけだ。店の喧騒と軽いBGMだけが変わらず流れていた。


沈黙に耐えきれなかったのは私でもマスターでもなく、隣の2人組の女性客だった。


「何で無理じゃないんですか?何で大丈夫なんですか?」


マスターは、女性客、私と視線をなめるようにうつし最後に質問をした女性客の目をじっと見ると答えた。


「あいつは音楽が好きなんですよ。」


私は、そのまっすぐな目に相当の自信を見たような気がした。


そしてその時漠然とではあったが、何かこれからあまり体験できないようなことが起こるのであろうと感じた。


「あいつの名前はなんて言うんだい?」


マスターは私の方に顔を向け、ニヤリとした。


「雅夫、マサオ。まさちゃんとでも呼んでやってくれ。」


そういうとマスターは他のテーブルへと移動して行った。


他のテーブルでもあの「まさちゃん」とやらが何者か気になるらしく、同じような事を聞かれているようだ。


「何だかこの店楽しくなりそうですね!」


隣の2人組の女性客が私に話しかけてきた。私はなんとなく視線を店の奥にうつした。


「そうですね。楽しくなりそうです。」


たばこに火をつけ、ふぅ~っとゆっくり煙を吐き出す。


たばこの煙は店の喧騒に溶け込み、まるで時が止まったかのような、また急速に加速していくような不思議な感

覚を漂わせて消えていった。


オリジナル小説「Pianoman」


プロローグ


店に入ると、いつもの喧騒とたばこの煙がただよっている。


私は見慣れた常連客に軽く挨拶をし、カウンター席につく。


店の奥から3番目、なぜかここが一番落ち着いた。


それ以来私はここを自分の指定席にしている。


もともと常連客が多いこの店では、ある程度指定席のようなものが暗黙の了解で決まっていた。


「いらっしゃいませ。今日は少しいつもより遅かったですね。」


男のバーテンが、おしぼりを私の目の前にすっと差し出した。


「今日はちょっと仕事がたてこんでいてね・・・」


バーテンは、いつものメニューを私の目の前に置き、


「とりあえず、いつもので?」


「あぁ、たのむよ」


私は置かれたメニューを見ないで返す。


バーテンはメニューを下げると、いつものようにカクテルを作りはじめる。


ハイボール。一杯目はこれでないと気が済まない。


「どうぞ、それにしても最近寒くなってきましたね。」


バーテンはにこりと笑い、私にハイボールをすっと差し出した。


「そうだねぇ、寒くなってきた、寒くなってくると思いだすだろう?」


しばらくあたりの喧騒だけが耳に入る、バーテンはたまっている洗い物のコップを洗いながら、


「そうですね、もうすぐですね。」


私はハイボールに口をつけ、煙草に火をつけた。ふーっと煙を大きく吐き、いつもの店の雰囲気を楽しむ。


「おおい!まさちゃん!今日はこいつの誕生日なんだ!いつもの一曲いいかな?」


カウンターの反対側に座っていた常連客の男が、部下であろうか、若い女性を指さしながら、バーテンを呼んだ。


「いつものっていつものでいいんですか?口説く用の?」


「バカヤロウ!違う違う!」


常連客の男は笑いながら「こいつだよこいつ!」と若い女性を指差した。


「分かってますよ。」


バーテンはニコニコしながら軽い口調で言葉を返すと、店中央にあるグランドピアノの前に座り、軽くピアノを弾き始めた。


曲は「HAPPY BIRTH DAY」一般的に誰でも聴いた事があるあの曲だ。


喧騒が止み、皆バーテンに注目する。


私も煙草の火を消し、奥から出てきたバーのマスターにビールをジョッキで注文した。


1曲終わると、もう1曲流れ始める、この前奏が流れるとバーの客たちは皆ウキウキしだす。


「曲名はピアノマン」ビリージョエルの名曲だ。


バーテンが歌い始めると、皆ビールジョッキやグラスを掲げ一緒に歌いだす。


酔っているものも女性を口説いているものも、さっきまで泣いていたものも、皆歌いだす。もちろん私も。


曲が終わり拍手喝さいの後、バーテンがピアノから離れると、またいつもの喧騒が店に戻る。


バーテンは私の前に来て、


「今日の出来はどうでした?」とニヤリとしながらきく。


「あぁ・・・いつも通り最高だったさ。」


私は答える。ここはウィンディ、私にとってこれほど人生を、そして愛を、感じた場所は今までにない。


「今日は俺からも一曲頼もうかな。」


バーテンは拭いていたコップを置き、


「何を弾きましょうか?」とピアノの前に行く、


「そうだな・・・FOR GOODを頼む。なんだかさ・・・今日はそんな気分なんだ」


バーテンは軽く頷き、ピアノを弾きだす。いつもの喧騒が止み、店内にはピアノの音色だけが響き渡る。


ここはウィンディ、それぞれの人生と人生が交差する。そして一体となる場所である。