皆さま、ご無沙汰しております。
超超久しぶりにブログを更新します。
書き残すか悩んだのですが、気持ちの整理のために書くことにします。気を悪くされる方がいたら本当にごめんなさい。
ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、僕は『ポップンマッシュルームチキン野郎』という都内の活動がメインの劇団に所属しています。所謂劇団員です。
2020年5月17日の早朝。
ポップンマッシュルームチキン野郎の主宰であり、作・演出・出演をされている吹原幸太さんが他界しました。
享年37歳でした。
僕が書いていいものか分かりませんが、
僕ならばどうしてこのような結果になってしまったのか、訃報だけではとても信じられないと思うので、
僕の言葉で少し経緯や想いを書かせていただきます。
先週の木曜日、5月14日。
いつものように夜、zoomで劇団会議を行いました。
そこにはいつもと変わらず、吹原さんが参加していました。
すぐに話が脱線するのもいつも通りで、話し合いの後会議は終わりました。
一夜明けて金曜日の朝、
吹原さんは突然痛みを訴えられて倒れたそうです。
そのまま病院に搬送されました。
その夜、劇団LINEで倒れられた事が周知されました。
土曜日の朝、
僕が目を覚まして劇団LINEを確認し、吹原さんが倒れられたことを知りました。
と同時に、吹原さんの従姉妹からもLINEが入っていました。奇跡を祈るしか無い状況だと。
嘘だろ、と。
すぐには言葉の意味が理解できません。
今でもその言葉を聞いた時の頭がガンガンする感じ
震える指で携帯を操作していたことがフラッシュバックします。
このような御時世ですので親族以外は面会も叶わず。
かといって何も手につかない。
何をしていいやら分からないまま、従姉妹さんと連絡を取り
よく分からない携帯のアプリをダウンロードして、
ただボーッと時が流れていくのを待っていました
翌朝、日曜日の朝
吹原さんの訃報を知りました。
信じられませんでした。
居ても経ってもいられず、
とにかく僕は吹原さんの近くに行かなければいけないと思い、準備をしてすぐ外に出ました。
ただ外に出たはいいものの、吹原さんが何処にいるのか、どこに行けばいいのかも分からなくて
近所の川辺に座って連絡を待ちました。
劇団プロデューサーの登紀子さんとやり取りをして
方々に連絡を取りました。
一番初めに連絡がついたのが元劇団員だったサイショさん。
サイショさんの声を聞いたら急に現実味が溢れてきて
マトモに喋れないまま電話を切りました。
その後、吹原さんの御家族と連絡を取り
吹原さんがいらっしゃる場所に向かいました。
面会可能時間よりずっと早く着いてしまいましたが
会館の方が気を利かせて会わせてくれました。
周りにはまだ誰もいません。
御家族の方もまだ居らず、会館の方も席を外していて
部屋に僕と吹原さんの二人だけ。
奥で横たわってる吹原さんを見て
部屋の真ん中で動けなくなってしまいました。
顔を上げることが出来ない、受け入れられない、
近くに居るために来たのにそれ以上前に進めません。
僕は10年前からこの劇団に関わり始めて
この10年間で誰よりも吹原さんと一緒にいました。
ラジオの配信でも言いましたが
家族より、同居人より、吹原さんと一緒に居た時間は長いです。
舞台の稽古がある時は毎日稽古場で顔を合わせて、
舞台の稽古がない時は、野球観戦に行ったり、映画を観に行ったり、旅行に行ったり、競馬に行ったり
旅行も一度や二度じゃなく、
箱根、熱海、伊勢神宮、ほったらかし温泉、金沢、
ベトナム、台湾、タイ、アメリカ
書き出してみると随分アチコチ行ったものだ、と思います。
公私合わせて沢山の場所、時間を吹原さんと共有しました。
今年、アメリカ旅行に行き
グランドキャニオンを見てテンションが上がった僕といのっちを見て
「な!すごいだろ!この景色絶対ぽちといのっちに見せたかったんだよ!」
と、言ってくれました。
自分が観て感動したから、僕らも連れてきてくれる。そういう人です吹原さんは。
「ここ、ぽちと一緒に来たかったんだよ!」
「これ、ぽちにも見て欲しいから一緒に行こうぜ!」
「これ、ぽちにも体験して欲しいからやってよ!」
いつもそんな事を言ってました。
どれだけ自分が忙しくても、遊ぶことにも全力をかける。いついかなる時も吹原さんは精一杯人生を楽しんでいました。
僕はそんな吹原さんと一緒にいることが楽しくて楽しくて仕方なかった。
同じ話をしたくて映画を観て、今まで以上に野球を詳しく勉強し、同じゲームを買ったりして
そんな風に同じ時間を過ごしてきました。
その吹原さんが目の前で横たわっています。
顔を上げたらちゃんと認識してしまいそうで、顔が上げられません。
望んでいないソーシャルディスタンスをしばらく保った後、
覚悟を決めて顔を上げました。
幾度と無く見た寝顔がそこにはありました。
「なーんだ、やっぱり寝てるだけじゃん!」なんて事を思いたいのですが、そんな夢物語あるわけないだろ、と理性的な自分が邪魔をします。この時ばかりは理性を恨みました。
見るのがあまりにも辛すぎたので、同じ部屋の椅子に腰掛けてこの後来る予定の劇団員を待ちました。
一対一で会うのはとても耐えられないと思ったので。
その後のことは詳しく書くのは控えます。
皆、思い思いの形で吹原さんと会っていました。
僕は劇団員や仲間が一緒にいなければまだ全く立ち直れていなかったと思います。想いを共有出来るだけで心が随分救われるので、少しでも吹原さんのことを伝えられればと思って筆を取りました。
先日、葬儀を終えました。
皆辛い想いを抱えてると思いますが、涙と笑いがある、実に吹原さんらしい集まりだったと思います。
まだザワザワする感じはずっと残ってますが、
多くの方の言葉に触れられて、ああ、偉大な人だ。愛されてる人だ。と思えたのはとても嬉しかったです。
吹原さんは凄い人です。
会う人会う人が才能溢れる人だ、天才だ、と仰っておりました。それでいて気さくで自分を繕わず、人を気遣って面白いことを常に考えてる。僕は傍にいられて本当に幸せです。
吹原さんの勧めてくる映画は父子の話が多かったので
きっと今頃ちょっと恥ずかしがりながら親父さんと話してるんじゃないかと思います。
フッキーさん、ありがとうございます。
これからもずっと大好きっす。
とりあえず演出の本を読み始めました。











