我が実家のお寺さんにいる大聖不動明王を調べていたら伊豆箱根の護摩堂に元々いたらしく、箱根を調べていたら箱根護摩山を写す絵葉書が見つかった
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240608/22/po-nvpo/a9/e6/j/o0600038815449103942.jpg?caw=800)
箱根神社と湖尻の間の湖畔には現在、末社のひとつ九頭龍神社があります。しかし、明治時代末~大正初期の同地を写した絵葉書では、「護摩山」と紹介されており、鳥居や社殿の姿は確認できません。
神仏習合から明治時代に廃仏毀釈になりました
とするなら、いつ鳥居や神社は出来たのでしょうか
応永年間(1394~1427)に当寺の12世お坊様が諸国を巡礼していて、役行者を慕っていた空海の甥円珍が作ったお不動様を越後から持ち帰ったと言われております
その頃は戦乱の世で箱根の奥の院修善寺も焼けており、あちこちの神社仏閣も同様です
令和の現代まで残されているお不動様は貴重な物です
親戚から頂いた富士山の写真
実家に帰る用事があり、お坊様に会えたがお坊様も忙しくお互いバタバタでお不動様の話を聞けなかったのが残念
米沢の真言宗の納棺は秩父と方式が同じだそうで他ではあまりない方式だそう
またここで妄想が始まりました
さてお坊様に次回聞けるだろうか
開いてはいけない扉があるかもしれないです