CECC cares about you. | のんびりかめさん

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東洋医学と西洋医学の両方を学んだ医師として個人的な考えを書きます。ご縁がある台湾のことも書きます。

在宅医療の医師が、亡くなった患者さんの家族に命を奪われるという哀しい事件。

将来的には在宅医療も考えていた私にとってかなりショッキングな事件。

 

推測で物を言うべきではないが、あくまで個人的に考えたことを記載します。

 

92歳のお母様を亡くされた息子さん、お母様を亡くされて、

すべてのつながりが断たれてしまったのだろう。

この男性は、おそらくお母様の年金で生計を立てていたのではなかろうか。

いくらそれまでの介護が大変だったからと言って、92歳で大往生の母親を看取ったら、

大きな哀しみの中にも、介護から解放されてほっとする気持ちがあるのが自然と思う。

でも母親が亡くなったら収入も断たれる、となったら話は別になる。

血縁を亡くし、同時に経済的にも道を断たれて絶望した。でも納得いってない。

 

窮鼠、猫を噛む。

追い詰められたら、捨て身で強いものにも牙をむく。動物としての身を守る本能。

猫=社会。

本来は、自分も社会に所属しているはずだけど、そこから外れると途端に社会は猫になる。

所属していないことへの恐怖。孤立への恐怖。

それに対しての自己防衛(正当化とは違います)。

この男性にとっては、医師=社会の代表と捉えていたから、

医師を攻撃したのだと思います。

視野が狭いといえば一言で終わってしまうが、なぜ視野が狭くなってしまったのか。

そこを考えないと。

 

鼠と人間の違いは、理性で本能を制御すること。

でもこの事件では制御できなかった。理性が失われていた。

では理性とはどのように人間に備わるものなのか?

どのように失われていくものなのか?

そこを考えないと。

 

もちろん加害者の男性は厳罰に処するべきだが、それだけでは同様の事件は防げない。

むしろ増えると思う。

これは氷山の一角だと思う。

 

ではどうすれば今回の事件は起きなかったのか。

 

①在宅医療あるいは在宅看護のスタッフに、経済的不安があることを相談する。

  ソーシャルワーカーにつないでもらい、生活保護などの手続きをとり、

  当面の生活基盤を確保する。その後何らかの仕事を探す。

 

  でも、それができなかったから今回の事件は起こった。

 

②お母様が亡くなられた後の息子さんの生活保障について、

 在宅医療、在宅看護、ケアマネージャーがどのくらい把握していたのか。

 あるいは、以前から介入を申し出ていたけど、本人がかたくなに拒絶していたのか。

 

③たぶん、この男性は元々コミュニケーションが難しいタイプの方なのだと想像するが、

 そのような方にどんなアプローチができるのか。

 社会とつながっていること、社会の一員であるとわかってもらうためには、

 どうしたらよかったのか。

 

マズローの欲求階層説というのがある。

『所属と愛情欲求;the belongingness and love needs』は、

生理的欲求と安全欲求が満たされたうえでのより高度な欲求であるとされるが、

この男性は母親の死によって生理的欲求、安全欲求、所属と愛情欲求がすべて脅かされ、

医師に刃を向けることで一気に自尊欲求を満たそうとしたのではないか。

衣食住が足りて、礼節を知る。

まずは衣食住が足りていること。それが保証されないと理性は保たれない。

マズローの欲求5段階説とは

 

社会とのつながり。所属する欲求。誰かが気にかけてくれているという安心感。

鼠だって、一匹より複数のほうが長生きすることが研究でわかっている。(食餌が十分であれば)

人間はどうしたらいいのか。

この男性を、亡くなった医師を、社会はどう守ればよかったのか。

 

自分が隔離中だから、余計に考える。

ちゃんとご飯があって、寝心地のよいベッドがある。

ホテルの人が、旧正月なのに出勤して我々の快適な隔離生活をサポートしてくれる。

インターネットがあって、スカイプやズームやLINEテレビ電話があって、

こうやってブログで自分の考えを発信する場があって、誰かが読んでくれる。

日本にも台湾にもつながりがあって、家族や友人が気遣ってくれていることがわかるから、

理性を保っていられる。

このつながりを自分が得るために、私も他の誰かに、

あたなをcareしていますよ、という信号を送っているのだ。

 

台湾の衛生指揮中心中央流行疫情指揮中心;Central Epidemic Command Centerだって、

 ”CECC cares about you.” というメッセージを毎日4回も送ってくる。

健康状態の把握だけじゃなく、この一文がとっても大事なのだ、と心から思う。

たとえそれが自動送信だとしても。

 

亡くなった医師が帰ってこないのはとても哀しい。

残されたご家族や同僚を思うと胸が締め付けられる。

 

けれど、

せめて、

 

加害者の男性が刑務所生活で最低限の生理的欲求と安全欲求が満たされ、

人間として自分の行動を省みる心を取り戻し、

社会の一員として自分に課された量刑を受け入れられるようになりますように。

そして経済的な理由以外にも、純粋に「お母さんを失って悲しい」、という気持ちがありますように。

 

そしたら、少しはこの社会は救われるのではないかと思う。

 

 

(あくまで自分の思考を整理するための文章です。きついコメントや他での引用はご遠慮願います)