昨日のブログで、日本サッカー協会の障害者サッカーへの取り組みについてお話しさせて頂きました。


今日は、ナインプロモーション沖縄が活動を支援している、沖縄のCPサッカー(脳性麻痺7人制サッカー)の現状について話をします。


まず、沖縄県内のCPサッカーは、私が沖縄に持ち込むまで、誰もやっていませんでした!と思ったら、沖縄CPサッカーのking伊江選手が、実はたった一人で活動していました。


僕が岐阜から沖縄に帰る際、必ず沖縄でもCPサッカーを普及させます!と意気込んでいましたが、なかなか仲間を見つけれずにいました。

そんな時に、ご紹介いただいのがking伊江です。


伊江さんは、まだチームも練習会もない沖縄から、一人県外のCPサッカーイベントに出向き、プレーをしていました。もともと県外にも少し住んでいたこともあり、そこで出会った友人たちとプレーをしていたそうです。

そんな伊江さんをFacebookで紹介してもらい、実際に会うことになったのです。


そして、伊江さんと会って話をしている時に、その体の麻痺を見て、一人の男を思い出しました。


現在沖縄チームのキャプテン松田選手です。

松田選手は、このブログでNPO法人設立秘話の時にも触れましたが、僕が通信制高校のサッカー部の監督をして、全国大会に出場した時の選手なのです。


当時は、彼の障害が脳性麻痺ということを知っておらず、障害があるにもかかわらず、健常者のサッカー大会でも活躍し全国大会に出場した根性のあるやつというくらいでした(笑)

そこで、色んな繋がりを駆使して彼の連絡先をゲットし電話しました!


僕「あっ!もしもしコウスケ?」

松田「はい!ご無沙汰してます!」

僕「おう!久しぶり~!ところで、お前の障害って脳性麻痺?(笑)」

松田「はっはい。突然なんですか??笑」

僕「よっし、お前は今日からCPサッカー沖縄県代表だ!」

松田「へ???なんですかそれ??」

僕「とりあえずいついつ打ち合わせするから、どこどこに来い!」

・・・という感じで彼はもう一度サッカーを始めることになったのです(笑)


そんなこんなで、二人のメンバーから沖縄のCPサッカーの活動がスタートしました。

この二人が、仲間を少しずつ連れてきて、本当に少しずつ前進してきております。


そしてつい先日、突然キャプテンの松田選手から連絡をもらいました。なんでも相談があるということで、沖縄市のミスタードーナツで話をすることにしました。

話の内容自体はとってもポジティブで、もっとこういう練習をしてはどうか?こんな風に選手募集をしたい!というような話だった。


凄く嬉しかった。どこか引っ込み思案だったコウスケが、自分から積極的に活動をしている様子を見て、スポーツの力の大きさを実感した。


そしてさらに松田からこんな話が出た。

タカノブの様子が変わった!!というのだ!詳しく話を聞いてみると、チームでゴールキーパーを務めるタカノブ選手は、慣れてくると凄く良いムードメーカーなのだが、やはり彼も少し遠慮がちな性格。

そんな彼が、職場などで同じ障害も持った人にドンドンチームへの加入をお願いしているとのこと。少しずつ練習体験なども増えてきていることもあり、松田選手は自分も負けてられないという思いが湧いてきたのだという。


そんな彼らに、CPサッカーを始めて良かったことは何か?と聞いてみた。


やはり一番は「世界が広がること」だそうだ。

どういうことかというと、なかなか健常者には理解できないかもしれないが、全国大会に行くのに飛行機に乗る、全国大会などで同じ障害を持ってサッカーを頑張っている仲間に会うというのは、彼らにとって簡単なことではないのだ。


足を引きづりながら、杖をつきながら、3~4日分の着替えを持ち、知らない土地に行く。もしかしたらスリなどの事件に巻き込まれるかもしれないし、出先で災害があった時にどう避難するのか?誰を頼るのか?小さな沖縄という島で育った彼らが海を渡るというのは、本当に勇気のいることなのだ。


しかし、その最初の一歩をクリアした彼らにとっては、この海を渡る大冒険が楽しくてしょうがないのだ。最初は年に1回の、それもホテルとグランドだけを往復する冒険から、2回目は知らない土地の美味しい料理を求め街に出てる。次は年に何度も冒険をするようになる。そして新たな仲間にであう。そして地元に戻ったら、SNSで世界中の仲間たちと近況を話し合い、また年に数回の再会を楽しみにする。

そうやって世界が広がり、新たな仲間ができ、そんな仲間と話してると、自分は地元の小さなコミユニティの、特別な「障害者」ではなくなる。障害をもているのも気にならないくらい多い、世界中の同じサッカー仲間のコミュニティに属すことで、小さなコミュニティで障害を持ちながらどう過ごして行くかという悩みから、どうやったらサッカーが上手くなるか?というポジティブな考えを持つようになり、今まで誰かにフォローされていたのが、チームで誰かをフォローする立場になることで、気持ちもドンドン前向きになるのであろう。


僕は、これをそばで見ていて、気持ちが良くてしょうがない。

たった一度飛行機に乗るだけで人が変わるのだから。

たまに喋り方まで変わります(笑)→いきなり関西弁に引っ張られる奴までいる(笑)


当の本人より、もっと悩んでいる「障害者の家族」が多くいると思います。いつまでも自分が元気に世話をしてあげられない。。。と悩みを打ち明けられることもしばしば。

しかし、そんな時必ず僕がいうのは、本当に心配なら早く社会に出すことですよ!ということだ。


きっと社会に出たら、多くのことで不自由を感じ、嫌な思いをするだろう。でもだからといって、ずっと家にこもっていたら、同じ境遇の仲間に会うこともないし、障害なんて気にしなくて付き合える本当の友達にも会えないのだ。


そんな仲間や友達に出会えるきっかけとして、スポーツは最適なものだと感じている。今後NPO法人ナインプロモーション沖縄は、CPサッカーはもちろん健常者も障害者も子供と大人も高齢者も、様々な出会いが生まれるコミュニティー作りを行っていきたいと考えいます。


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↓は今回話にも登場したキャプテン松田選手です!


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岐阜を訪れていました。その目的は、日本障害者サッカーのキーマンお二人にお会いすることだ。


そのキーマンの一人は、電動車椅子サッカー元日本代表監督の浅岡さん。

そしてもう一人が、日本脳性麻痺7人制サッカー協会理事の栗本さんだ。

二人の共通点は「岐阜県民」ということである。


この日は、私も理事として微力ながら活動している、IGSユニバーサルスポーツクラブ(運営:一般社団法人Infinite Gifts of Sports)http://igspo.jimdo.com の代表理事石原と私、そしてキーマンであるお二人と4名での会食となった。

一つ意外だったのが、障害者サッカーの日本を代表するお二人が、こんなに近くに住んでいながら初対面だったということだ。


あまり詳しくない方のために、簡単に障害者サッカーについてサッカーについてお話する。

現在世界中には、サッカーと名がつく競技が多く存在する。その中でも、障害者が行う各種サッカーを障害者サッカーと呼ぶのだが、近年この障害者サッカーの普及・発展の為に、日本サッカー協会が音頭を取り、それぞれの競技団体が交流を図り、東京パラリンピックや国際競技大会での成績アップや、活動支援を得られるように体制を整えているのである。


その中心として活動している団体の競技種目が、

・アンプティサッカー(上肢、下肢の切断障害)

・ブラインドサッカー(視覚障害)

・デフサッカー(聴覚障害)

・CPサッカー(脳性麻痺)

・知的障害者サッカー

・ソーシャルフットボール(精神障害)

・電動車椅子サッカー(電動車椅子によるサッカー)

上記の7種目である。


これらの障害者サッカーをIGSユニバーサルスポーツクラブ(岐阜県)、ナインプロモーション沖縄(沖縄県)でもドンドン普及させようということで、お二人にお集まり頂いて、話を聞いた。


私は、CPサッカーについては少し携わっていることもあり、多少の知識があるが、電動車椅子サッカーは、私がFC岐阜(J2)に在籍中、数回クラブと岐阜の電動車椅子サッカーチーム「Wings」の交流会で拝見させて頂いた程度だったので、競技を見ての率直な疑問から、競技のルールや奥深さについて教えて頂いた。


一度やったことのある方ならおわかりだと思うが、この電動車椅子サッカーかなり難しい。

まず思い通りに車椅子をコントロールすることができない。微妙に行き過ぎたり、回転しちゃったり、ふざけてるの?と笑いたくなるくらいだ。


そんな競技の話から、話題は日本サッカー協会が音頭を取っている、この障害者サッカー団体の連携や、それぞれの団体の状況などにうつった。


今回かなりのスピード感で、日本サッカー協会は競技団体のサポート・取りまとめを行った。それには多くの人が評価していることだろう。もちろん私も同感である。しかしその中で、今までほとんどボランティアで活動していた団体にとって、団体の法人化や理事の選定、今後他の団体と足並みを揃えながら活動を進めていくというのは、少しハードルが高かったらしく、やはりそれぞれの団体で起きている摩擦や捻れなど多くの問題が山積みのようだ。


しかし、これは決して悪いことではない、今まで「想い」でやり過ごしてきたことを、課題としてしかりと浮き彫りにし、少しずつその解決に取り組めばいいのだ。


そこでもう一つ課題なのが、今度は日本サッカー協会の方針に対して、各都道府県協会がついてこれていないということだ。まだまだよその状況を見ていたり、そもそも障害者への理解がないので、この案件をどう扱うのかということがまだ明確になっていない県がほとんどだということである。


幸い、私が住む沖縄県サッカー協会は、この日本協会の動きにスムーズに対応して頂き、「沖縄県サッカー協会障害者サッカー特別委員会」という組織を設けて頂けたのだ。私はその委員長という大役を受けてしまったので、今回この様に沖縄県内でまだ普及していない競技種目について勉強しに来たということである。


NPO法人ナインプロモーション沖縄とIGSユニバーサルスポーツクラブでは、この各県それぞれの競技団体や協会とこれからスポーツをしてみたい、すでに参加している方を結びつけ、環境を整備していきたいと考えている。その為にまた引き続き、地元での選手のサポートや、競技団体のサポートも行っていきたいと考えている。


下の写真は、今年2月に琉球銀行さまのサポートで行われた、NPO法人ナインプロモーション沖縄主催で行った、CPサッカー元日本代表河野さんの講演会&CPサッカー体験会の様子である。皆さんももし周りに障害を持って、これから何か始めたい!と思っている方がいたら紹介してください!よろしくお願します!


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15歳で初めてブラジルに渡り、いつか沖縄もこんなスポーツで盛り上がる街にしたい!そしてみんなが熱狂するクラブをつくりたい!そう思ってから、FC琉球(現J3)の立ち上げに参加したり、FC岐阜(現J2)のフロントスタッフとして活動したりとプロサッカーの現場に携わらせて頂いた。

こんな僕に、FC琉球時代様々なアドバイスをくれた人物、そしてFC岐阜のフロントスタッフとしてのオファーを出して頂いた人物、それは「服部順一」(現V・ファーレン長崎GM)。僕はこの人には本当に頭が上がらない。


本人がこういう風に言われることや、人前で話されることを嫌うため、あまり僕が直接名前を出してこの様な形で書くのは珍しいのだが、この僕がやっている東アジアサッカー大会などの、アジアで展開している事業を語る上で、彼の名前が出てこないと話がはじまらないので、最初にご紹介させて頂きたい。


服部さんとの出会いは、FC琉球の設立時にまでさかのぼる。当時フロントスタッフは、社長と僕の2名という本当に小さなクラブの時代、県内での地道な地域貢献活動を怠らない様に指導をしてもらった。その結果、県リーグチームのサッカースクールに数百名もの会員が集まり、その後、その活動の甲斐あって、JFLでも平均5~6千名を集めベストサポーター賞を受賞するまでにクラブも成長した。


そしてFC琉球を離れ、大学院でスポーツと地域経済について研究をしていた頃、FC岐阜へのオファーを頂いた。そのFC岐阜に所属していた頃、岐阜と台湾の交流がはじまった。

この台湾との交流は、元サッカー台湾代表で台湾代表監督も務めたこともあり、現在台湾国立体育運動大学の副学長を務める、「趙榮瑞」と「服部順一」が大学時代の友人であるということからスタートしたものである。


当時FC岐阜のスポンサーを務めていた某企業が、台湾で工場をやっているという関係もあり、クラブの台湾事業の後押しをして頂いた。


まだ台湾にはプロサッカーリーグがなく、今後台湾のサッカーを発展させたいという台湾側の思いもあり、FC岐阜のシーズン前のキャンプは台湾で行われ、熱烈な歓迎を受けた。そしてJリーグのシーズン中には、FC岐阜のホームゲームで「台湾ナイト」というイベントを開催し、台湾から要人を招待し、その様子は試合とともに台湾で放送もされた。


まだJリーグがアジア戦略など本格的に動く前の話である。


しかし、今西和男前社長が退任となり、服部もあとに続くように岐阜のGMを辞め、今西一派が次々に岐阜を離れ、その国際交流の重要さがわからない後任の経営陣により、台湾事業は打ち切りとなってしまった。


その当時、私も何度か台湾を訪れていて、趙さんとの関係も少しずつできていたため、岐阜よりも近く、歴史的にも交流が盛んだった、台湾と琉球(沖縄)の関係を良好にするため、双方で東アジア国際サッカー大会を開催するようになった。


これがナインプロモーション沖縄で、台湾をはじめとする東アジアのサッカー交流がスタートしたきっかけなのである。


2014年3月には、「台日沖縄国際交流大学サッカー大会」を開催し、沖縄県内4大学のサッカー部と、台湾で1・2を争う「国立台湾体育運動大学サッカー部」を招いた5チームで、沖縄県内の大学年代初の国際大会を開催した。僕らが学生の頃からすると夢のような体験である。

その大会では、サッカーの試合はもちろん、試合後に行われる交流会で、言葉も通じない大学生同士身振り手振り交流を行い、それぞれの魅力についても語り合った。その結果、沖縄の大学から、この台湾の大学に編入し台湾にサッカー留学をする生徒も誕生した。


そしてその年の8月、社会人選手による「東アジア国際交流サッカー大会in台中」がFIFA公認のもと行われ、台湾2チーム、中国、韓国、マカオ、そして琉球代表(沖縄)が熱戦を繰り広げた。


そして第3回を迎える、3月の大学生の大会は、2016年の今年から、台湾に続き香港とマカオの大学も参加し、名称を「東アジア沖縄国際交流大学サッカー大会」と変え大きく成長してきている。


この社会人や大学生の交流がきっかけとなり、ナインプロモーション沖縄では、サンビスカス沖縄FC U-15のメンバーが台湾遠征に行くのをサポートしたり、海外から沖縄に訪れる中学生や高校生チームを県内のサッカーチームと交流できるようにしたりしている。


台湾一つの地域だったのが、現在は香港やマカオ、そして中国や韓国からも沖縄に行きたいというお話もいただいており、ますます県内のサッカー少年の国際化も進んでいいくだろう!


そして次は、サッカー以外にもバスケやハンドボールに野球など、様々なスポーツの交流を行っていきたいと考えている。


こうして沖縄の子供たちが、スポーツを通して、言葉が違う、肌の色が違う、文化が違うスポーツの仲間たちを理解しあい、平和な世界を築いていってほしい。そして物怖じせず、県外や海外に行っても実力が発揮出来る国際人へと成長していってほしいと願っている。





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1分だけ僕に時間をください!皆さんの10年後が変わるかも知れませんよ。

実際に僕は、1年のたった数日の活動が、10年という月日を経て、数千人のスポーツ活動の支援や夢の活動へのサポートを行うことができるようになりました。


行動を起こすことができない。。。

何をしていいかわからない。。。

続けることが大変。。。

僕もそうです。しかし、10年前に思い付きと想いで始めた一歩が、本当に少しずつ動き出し、なんだかこの頃10年という時間が、皆さんに大変評価頂けるようになってきました。

もちろん冒頭に書いた通り、1年のたった数日です。


ぼくとFacebookやTwitterで繋がっている方なら、だいたいのぼくの行動がわかると思います。それを見ている友達からも、そんなことする時間がどこにあったんだ?と聞かれるくらいです。(笑)

特に無理をして続けたり、お金を使って続けたりなんてしておりません。遊びの時間や休日、余裕があるときに活動について考えていただけなんです。

それでも、10年間という時間を評価していだけるのです。(笑)


一生懸命やって1年で疲れて辞めちゃう人もいます。3年目で仲間が離れていくことがあります。5年で一息ついて、本当にこの活動に意味があるのか?と辞める人もいます。

最近わかりました、振り返る暇があるから辞めちゃうんです!笑

皆さんも今から、お休みの日や寝る前の時間など、ほんの数分を年に数日過ごしたら、急に10年目に周りの目が変わることに気づきます!本当ですよ!10年です。いきなり世界が変わります。


それでは、実際の活動についての紹介をします!

まずは、NPO法人ナインプロモーション沖縄の定款に記載されている情報です。

この定款の内容は面白くないので、流し気味に見てください!笑↓↓↓↓↓↓

まずは、法人の目的について。

この法人は、前条の目的を達成するため、次に掲げる種類の特定非営利活動を行う。

(1) 社会教育の推進を図る活動

(2) まちづくりの推進を図る活動

(3) 学術、文化、芸術又はスポーツの振興を図る活動

(4) 環境の保全を図る活動

(5) 子どもの健全育成を図る活動

(6) 前各号に掲げる活動を行う団体の運営又は活動に関する連絡、

助言又は援助の活動

↑これがNPO活動ってやつです!



そして事業について、この項目を見て、ぼくが10年前からやりたかったこととはなんなのか?について予想してみてください!笑

(事業)

第5条 この法人は、第3条の目的を達成するため、次の特定非営利活動に係る事業を行う。

(1)植樹及び森林保全を促進する事業

(2)ビーチクリーンを促進する事業

(3)清掃及びボランティアによる環境保全を図る事業

(4)選手・指導者・審判員の育成に関する事業

(5)スポーツサークルの企画

(6)スポーツ大会の企画

(7)スポーツ教室事業

(8)青少年・少女交換留学事業

(9)スポーツ施設の整備・拡充を図る事業

(10)スポーツ施設の管理・運営を図る事業

(11)文化施設・公共施設の管理・運営を図る事業

(12)その他目的を達成するために必要な事業


定款に掲載しているのは、こんな感じの当たり障りない感じのこと。

実際は、大々的にやっているものもあれば、こっそりやっている事業など、上記の目的の為に様々な活動を行っています。


具体的な活動の名前はこんな感じ!

 第1回プラスナインカップ(一般向けフットサル大会)

 第2回新春プラスナインカップ(一般向けフットサル大会)

 第3回プラスナインカップ(一般向けフットサル大会)

 第4回プラスナインカップ(一般向けフットサル大会)

 第5回プラスナインカップ(一般向けフットサル大会)

 第6回プラスナインカップ南部大会in南城市(一般向けフットサル大会)

 第7回新春プラスナインカップ(一般向けフットサル大会)

 第8回プラスナインカップ卒業式大会(一般向けフットサル大会)

 第9回プラスナインカップ(一般向けフットサル大会)

 プラスナインFゲームス(一般向けフットサル大会)

 プラスナインVゲームス(一般向けバレー大会)

 プラスナインBゲームス(一般向けバスケットボール大会)

 プラスナインFゲームス(一般向けフットサル大会)

 プラスナインVゲームス(一般向けバレーボール大会)

 プラスナインFゲームス(一般向けフットサル大会)

・・・・・・・書いたらキリがないので、この辺にしておきますが、倍くらいの数の大会を行っています。


ちなみにプラスナインカップとは・・・

 子ども達を応援するシステム作りの構築の第一弾として、一般競技者向けのフットサル大会を企画し、その大会参加費の収益の中から、沖縄の頑張る子ども達を応援しようという目的で開催されたスポーツイベントで、現在はフットサル以外のバレーボールやバスケットボールなど、幅広い層の方に楽しんで頂け、またカップ戦の勝つ事(WIN)よりも、楽しむ事(FAN)を目的とした大会へと変貌を遂げております。

http://www.plusninecup.com/#!history/cihc

 

このイベントの重要なところは、大人自身が楽しむために使った参加費が、次の夢の手助けになっているということです!

前回のブログを読んでいただけた方はピンときていると思いますが、あのときのように大会を開催してその参加費で支援活動を行っているということです。

そして応援の成果にはこんなことがあります↓↓↓


【応援成果】

①定時制通信制サッカー全国大会へ出場 星槎国際高校サッカー部への寄付。

②「児童養護施設島添えの丘」の子ども達にサッカーボールのプレゼントと、プロサッカー選手をお呼びしてのサッカー教室

③北部地区の保育園5ヶ所へスポーツをはじめるきっかけになってもらいたいと、ボールのプレゼントと指導スタッフの派遣

④玉城スポーツ少年団主催サッカー大会へ大会球と各チームへのボールプレゼント

⑤Jリーグ東京ヴェルディ1969選手をゲストによんでのサッカー教室開催212名参加

⑥沖縄からスポーツの海外留学を行った2名に、移動費等の寄付

⑦定時制通信制全国体育大会へ県代表として出場のソフトボール部・卓球部の子ども達への寄付。

⑧全国専修学校バスケットボール大会出場沖縄県代表チームへの寄付

⑨全国専修学校バレーボール大会出場沖縄県代表チームへの寄付

⑩サッカー王国ブラジルへの若者留学生の支援

【指導者の育成】

①当時全国的にもまれで、沖縄には数名しかいない、日本サッカー協会ゴールキーパーライセンス取得のため、県内指導者を茨城県へ派遣。


その他にも・・・

父親の育児参加を推進するイベント「育Qプロジェクト」というものを行い、父親達が育児について学び・体験し・仲間をつくる企画を行ったりもしました!

そして国際交流事業!

これについてはまた次回書きますね!


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昨日は、NPO法人って何?ってことをチョー簡単にお話ししました。

 

簡単に書きましたが、実際に設立するには、通常の株式会社や一般社団法人が一月弱で設立できるのに対して、NPO法人は約6ヶ月程度県とのやりとりを行ったり、揚げ足取られたり(笑)かなり面倒です!

 

まぁでも法人は、作るより継続することが大変なので、継続していく段階で予想される大変なこと、お金のこと、人間関係のことなどなど、しっかりと話し合える時間があるのはいいことだけどね~

 

※作りたい!って人お声かけください。様々な問題などアドバイスして設立までサポートしますよ!その後協力関係を結びながら、互いに活動を広げられたいいですね♪

 

さて、本題。

 

なんで僕がそもそもNPO法人を設立しようと思ったか?です。

 

これにはこんな物語がありました・・・

 

2006年3月、ある通信制高校サッカー部の指導を依頼されました。たった2名からスタートしたサッカー部が、4人になり、新入生や転校生でやっと11名そろい、試合ができるようになりました。

 

そして夏のインターハイ。昨年の大会は、二桁失点の末一回戦敗退だったチームが、次々と勝利し、見事初優勝を飾ったのです。

 

文字にするとあっという間ですが、そこまでいくのには数々の奇跡がありました。

(これはいつか必ず本にしたい!)

 

ぼくが、指導を依頼された3月にこんなことを言われました。

「3年生最後の大会で優勝して、最高の思い出を作りたい!」

 

ぼくは、目標を達成した生徒達を誇らしく思いました。そして、そこまでの道のりを頑張った自分自信も本当に誇らしかった。

 

しかし、こんな残酷なことが待っていたのです。。。

 

それは、日曜日に優勝した選手が翌日登校してきたときの話でした。

 

ぼく:「おはよう!昨日は良かったね~家族はなんて言ってた!?」

 

選手:(なんだか浮かない様子・・・)

 

ぼく:「どうした?なんかあった?」

 

選手:「俺、全国大会行かない!(今にも泣き出しそうな顔)」

 

ぼく:「はぁ???どうした何があったの??」

 

彼から話を聞くとこうだった。

優勝した後、帰宅し家族に「俺優勝したよ!全国大会に行けるんだよ!」と話したら、何も話を聞かずに「うちにそんところ行かせる金はない!」と言われたそうなんです。

 

もちろん、島嶼県沖縄では、九州大会にいくのにも全国大会に行くのにも飛行機で行きますし、前泊後泊は当たり前で、よその県に比べてかなりのお金がかかります。

 

しかし、彼はそんなことよりも先に、

 

「おめでとう!よく頑張ったね!」

 

って言って欲しかっただけなんです。中学や高校そして家庭で色んなことがあり、それぞれワケがあって普通の高校に行けず、彼らなりにモヤモヤしながらも過ごしていた高校生活の中で、自分の大好きなサッカーで、一生懸命努力し、その努力が報われたことを一番に家族に話したかった、そして褒めて欲しかったのです。

 

ぼくは、もの凄く落ち込みました。自分が指導し、余計に彼らを傷つけてしまったのではないか?もし準優勝ならいい思い出のままで終わったのではないか・・・

 

でも過去の結果を変えることはできません。

 

ぼくは、決心しました。遠征費を自分たちで稼ごうと考えたのです。遠征費の寄付やサポーターを集い、数十万円ものお金が集まりました。しかし、まだまだ足りません。

 

ぼくの会社のPLUSNINEがスポンサーになり、PLUSNINE CUPというフットサル大会を企画し、ぼくの会社からスポンサー料の数十万、そして大会参加費の数十万、そして当日の物販での数十万円を集めることができ、合計で150万程度あつまりました。

 

しかし、まだまだお金は足りません。。。

 

そこで、一度は諦めましたが、最後の手段である保護者の皆さんにお願いをしてみることにしました。

 

保護者会を開催し、全生徒の保護者に集まって頂きました。

 

そこでぼくからこんなことをお話しさせてもらいました。

 

「今回、昨年1回戦負けのチームが優勝しました。多分これは奇跡だと思います!(保護者から笑い声&じゃわざわざ全国行かなくてもいいんじゃないの~的な空気)

しかし、彼らは奇跡を起こしてもいいだけの努力をしました。その努力を見てきた先生方や仲間たちに彼らを笑う人はいません。今度は、保護者の皆さんが奇跡を起こすために努力をする番だと思います。それぞれ、なんらかの事情があってこの学校にきていることは承知しています。しかし、いま子供達の努力に大人が努力で返してあげないと、子供たちとの関係は修復できないと思います。もう高校生になり、きっとこれが親ができる最後の支援になるかもしれません。これを逃さず子供たちの為に、子供たちとの絆の為に大人の皆さんが努力してくれませんか?」

 

保護者の皆さんは、快くこの願いを聞いてくれました。もちろん家庭によってバラバラですが、とても生活費の中で遠征費を捻出することができない家庭もあります。そこで、保護者の皆さんで資金造成の為にお米を販売してもらい、残りのお金を作ってもらいました。

 

なんとか全国大会に出場することがチームですが、結果は1回戦負け。

 

ぼくは、保護者の皆さんや協力してもらった人たちに合わせる顔がないと自分を恥じました。

 

しかし、沖縄に戻った僕らに協力者保護者の皆さんは、本当にあたたかい声をかけてくれました。「結果ではなく、また次の目標を持つきっかけをつくってくれたことに感謝している」「彼らが何か一生懸命になるきっかけを作ってくれてありがとう!」というような声でした。

 

しかし、本当にありがたいお言葉ですが、ぼくは本当に不思議でした。

 

それってみんな当たり前じゃないの?

 

一生懸命がんばるのってあたりまえじゃないの?

 

みんな目標もなく生きてるの?

 

でも、これはあたりまえじゃなかったのです。

 

そこでぼくは思いました、生活の格差があるのはしかたない、しかし子供達がみる夢に格差があってはいけないのではないか?ということです。

 

お金がないから頑張れない、頑張り方がわからないというのは違うと思います。

しかし、子供達は家庭環境は選べません。その家庭環境の中で、育ってしまうとそのような体質になってしまうこともあるのです。

 

こういうことがあり、ぼくは今回のフットサル大会や遠征費集めなどの活動をNPO法人を設立してやろうということを思い立ちました。

 

「地域の大人が地域の子供を応援する。」というスローガンのもと、環境(街・家庭・自然)整備のお手伝いを行いたいと考えたのです!

 

でもなんで、ぼくがこんかことするの?メインの仕事はどうするの?(スポーツや音楽)ということを言われることがあります。

 

それについてはまた次回書きたいと思います。ここが一番大切なところなんですよ~!!