先だって摘発された尼崎の犬繁殖業者の問題で
明るみに出た行政側の対応のずさんさには、改
めて驚かされました。
行政の野放図な前例主義と不良在庫として犬を
処分しようと持ち寄る販売・繁殖業者からの犬
の安易な引き取り、そして──その結果として
行われている大量の殺処分が、このような業者
の悪質な違法行為を助長させてきたとも言える
でしょう。
今回、関係先のひとつとして捜索をうけた市の
保健所しかり、既に違法性を認識しながら問題
を放置し続けてきた行政の無自覚ぶりは、既に
こうした問題が恒常化していることの現われで
あると指摘せざるを得ません。
確かに国の定める動物愛護法にうたわれた法の
精神に疑いはありません──
しかし、昨今のこうした動物虐待の悲惨な現状
には法の不備の問題が常に見え隠れしています。
それでも現行法で一応の対応は出来たわけです
から、やはり問題は、その効力──すなわち、
これを執行する機関のアビリティの低さにある
と言わざるを得ないでしょう。
私は常々思うのですが、行政力の貧しさは民意
の乏しさと比例しているとは言えないでしょう
か。
だとすれば動物虐待の現状についても先ず一般
の人々が、たとえ僅かでもつねに関心を寄せて
いる状況が重要なのだと思います。
動物愛護というと先鋭的な活動やボランティア
への参加などがイメージされ、難しく捉えられ
がちですが、浅くとも一定の広がりがあれば、
大きな力を生むのが、世論というものです。
そうした土壌があれば、いつかは、その精神も
文化として必ず芽吹いてくれるはずです。
先ずは、気になる事を気に留め、関心を寄せて
いれば、必要な情報も自ずと集まってくるもの
──そうして例えば今、私がこうしてブログの
記事を書いているように、その事について自分
が感じたままを時折コミットしてみる──誰に
でも簡単にできることです。
たとえ今、そのひとつ一つは小さな波紋でも、
重なり合えば、いづれは大きな波ともなり得ま
しょう。
行政とて世論に背き続ける事はできないのです
から、無理に徒党を組まずとも、それぞれ必要
な時に、可能な方法で、はっきり社会に対して
コミットする姿勢を持ち続けている事が、こう
した問題に限らず、民意を行政に反映させる為
に大切なのだと思っています。
日本のペット文化は、この10年で実に大きく
様変わりしてきましたが、欧米のペット事情と
比べると文化レベルとしては、未だ低い水準に
留まっているようです。
これは市場原理のみが強く働いて、ペット需要
が急速に高まってきた一方、対象である動物の
権利が蔑ろにされてきた結果ではないかと思い
ます。
ドイツでは、動物の権利が憲法にも明記され、
国がこれを保証しています。
確かに全ての権利を認め、これを直ちに法制化
することは困難でしょう。
しかし、光が強くなれば闇もまた濃くなるもの
──今回の事件の例を見るまでもなく、現在の
ペット普及状況からすれば、これを供給する側
の行政監視の徹底と、不正を取り締まるための
動物虐待に関する定義を明確にすることは最早
急務ではないでしょうか。
2006年、動物愛護法が改正され、施行から
5年後となる来年、さらにその内容の見直しが
行われる予定になっています。
この見直し如何によって、日本のペット文化が
今後どのような道筋を辿っていくのかが見えて
くるような気がしています。


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