科学的にものを考えるには、

疑問、試行錯誤、仮説、検証

というプロセスが大事、、


とか言われると

堅苦しくて聞きたくなくなりますね



そもそも、大人になると

素朴な疑問や、素直な感動が減ってくる

という方も少なくないでしょう



かく言う私も。。(汗)




その点、子どもは

時として素朴な質問を

投げかけてくれます



ある意味、怖かったりします。。



しかし、

怖いくらいに質問してくるお子さん

実に素晴らしい



ただ、

そのときの親の応対が問題となります




例えば、あるお父さんと子どもの会話



子「どうして、ときどき虹が出るの?」


父「雨がやんだ後に出るものだからね」


子「どうして、雨がやんだあとなの?」


父「太陽の光が要るんだよ」


子「どうして、晴れてるときは出ないの?」


父「雨の水滴も要るんだよ」


子「どうして、雨と太陽が要るの?」


父「それは、雨粒がレンズの役割をして、
  
  光が屈折するからだよ」

(この辺が限界だなあ。

 これ以上、聞いてくるなよぉ… )


子「クッセツって、何?」


父「(来たよ… )うーんと。

  それはね。。」


子「あと、虹って、まん丸じゃなくて、

  山から生えてるように半円に

  なってるのしか見たことないけど、

  どうして?」


父「(知らんて、そんなの)

  ちょっと疲れてるから、今度ね」



(そそくさとその場を離れるお父さん)



こういった、子どもの

どうして?どうして?攻撃を

懐かしく思い出された方も

おられるでしょう



先ほどのやり取りは

まだ結構、頑張っているパターン




では、次の質問はどうでしょう?



子「どうして、アサガオは種なのに

  チューリップは球根を植えるの?」



このブログをお読みの皆さんは

もうお分かりかと思いますが、


拙ブログ『チューリップは、なぜ種を植えないの?』


スッと答えられるお父さんは

少ないかもしれませんね



そんな質問をされると

いきなり詰んでしまって

「あー、はいはい。また今度ね」

と言って、その場をしのぐ



おお、危ない危ない

やられるところだった



って、別にやられるわけではないのですが




上の2つのパターンでマズいのは

いずれも、「逃げている」こと



これは意外と大きなダメージを

子どもに与えることになります



与えられた問題を解くのと比べて

自発的に疑問をもつと

知りたいという意欲がパワーとなって

理解や考えが飛躍的に進みます



せっかく、疑問をもったのに

それを突き放してしまうのは

もったいない、

というより、極力避けるべきです



逃げたい気持ちも分かります



親である自分が知らない、

ということを

子どもに悟られたくない

親としてのプライドを保ちたい



そういう心理が働くのでしょう



親は子どもに比べたら

何でも知っていないといけない


子どもに聞かれたら

何でも答えられないといけない



まず、ここの考え方を変えましょう




この続きは、次回。




(つづく)





文:生塩研一





お読みいただきまして、ありがとうございました。
コメントもお待ちしています。お気軽にどうぞ~!


応援してくださる方は、下のバナーをクリックビックリマーク
ランキングサイトが開いたらOK! 


自然科学 ブログランキングへ

にほんブログ村 科学ブログ 自然科学へ
にほんブログ村


Facebook の「いいね!」も嬉しいです!


Twitterもやってます




読者登録してね