ちょっと前、
2007年に放映されたNHKの番組
「言葉で奏でる音楽
~吉田秀和の軌跡~」
の何度目かの再放送がありましたね
最近の再放送は、
音楽評論家の吉田秀和氏が
去年5月に亡くなった関係です
せっかくなので
メモを残しておこうかと

吉田秀和氏(47NEWS)より
氏は、1913年、東京日本橋生まれ
1971年から続いた超長寿番組、
NHKのラジオ番組『名曲の楽しみ』
でご記憶の方も多いと思います
日曜の朝、9時からの1時間でしたか。
氏が音楽批評を始めたのは
高校のとき、先生から勧められた
ニーチェ『悲劇の誕生』を読んで
音楽の感動を言葉にすることに
気付いたからだそうです
文部省に勤めていましたが
終戦とともに退職して、フリーとなり、
評論活動を始めます
氏の評論文には、楽譜が載っていて
曲の構造の細部に踏み込んで
一音一音分析されています
手書き原稿はまだしも、
譜面も自分で書き写して
切り貼りされていたとは。。
こういった手仕事が楽しいそうで
ヴァレリーとドガのやり取りを
以下のように紹介していました
ヴァレリーが、木を描くドガを見て
葉の一枚一枚を細かく描くので
ヴァレリーが、
「絵描きはなんて辛抱のいる仕事だろう」
と言ったところ、ドガは
「こうやって描くのが好きなのが
絵描きというだけ」
と応じたとのこと。
これ、全くそうですよね
他から見て大変そうでも、
本人は楽しみながら集中して出来る
一見派手に見える成果の裏にも
こういった地道な作業の積み重ね
が必ずあります
地味な単純作業の繰返しに見えても
時間を忘れるくらいにできなければ、
それを仕事にすべきではないでしょう
氏は後進の指導にも注力され
35歳のとき(1948年)、
チェリストの斎藤秀雄らとともに
「子供のための音楽教室」を開設
(後の、桐朋学園音楽部門)
一期生には、
小澤征爾(指揮者)
中村紘子(ピアニスト)
堤剛(チェリスト)
らがいます
氏は、
「音楽は言葉とくっついている。
言葉がわからずに音楽をやるのは
本当は無理なところがある」
との考えから、
語学教育も重視していたそうです
詩人・中原中也との交流で
気付かされたという、
「音楽・詩・愛・死は同じ根から
生えてきたような感情をもっている」
という言葉も印象的でした
また、
無名の音楽家を発掘・紹介していまして
グレン・グールド(ピアニスト)
マルタ・アルゲリッチ(ピアニスト)
クリスティーネ・シェーファー(ソプラノ)
庄司紗矢香(ヴァイオリン)
などなど
曲の評論をするためにレコードなどを
聴かれるわけですが、
あまり機械(プレーヤーやスピーカー)
にはこだわっておられなかったそうです
「立派な機械の方がいいのだろうけれど、
演奏の本質はどんなもので聴いても
変わらない」
なるほど。確かにそうです。
自分が高校生のときは、スネをかじりで
いいものを買ってもらっていましたが。
氏にとって、
一番胸に沁みてくる音楽家は
バッハ、モーツァルト、ベートーベン
奥さんに先立たれて
しばらく音楽が聴けなかったそうですが
バッハだけは聴けたとも
私もバッハが大好きで、
バッハ好きな方とは気が合いそうです
「それでも、いつまでか知らないが、
私は書き続けるだろう。
人間は行きている限り、自分を信じ
愛するものを力を尽くして大切に
するほかないのだから。」
吉田秀和
私も自分がなすべきことを粛々と
やっていかないと。。。
(おしまい)
お読みいただきまして、ありがとうございました。
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