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Web小説『+cube;』

ひとつひとつの物語。

不定期いろいろ公開。

巳已己による物語。

あっ、ミイコって読むよ!

ミーコでもいいや。


ほら、またそこに1つ、物語が始まるーーー


 チッ チッ チッ

時計の秒針の音だけが鳴り響く部屋。

静かすぎるからこそ、その音が五月蝿くも感じられるように感じる。

ゆっくりと目を開く。

ぼんやりと天井を見つめる。

 チッ チッ

 ピピピピッ ピピピピッ

元気よい目覚まし時計が、再び朝がやってきたことを告げる。

午前四時四十五分。

俺はこの音に完全に起こされる。

ガバッと勢いよく起き上がり、左手首を右手で掴んで、少しばかり小さい身体を、背筋を反らしながら目一杯伸ばす。

家族を起こさないように静かにベッドから降りる。

足音を立てずに階段を下り、洗面所へ。

いつも通り顔を洗い、いつも通り歯を磨く。

そして、半袖短パンに着替え、携帯音楽プレイヤーとタオルを持つ。

左手にスポーツウォッチをつける。

そして、玄関へ。


座り込んで、ランニングシューズの紐をギューっと固く締める。

携帯音楽プレイヤーのいつものプレイリストから、お決まりの曲を探す。

再生。

そして、イヤホンを両耳に装着。

曲が再生されていることを確認する。

左手で玄関の戸をゆっくりと開ける。


「春だなぁ。」

外に出てついそんな言葉をこぼす。

俺は小さい子どもほどではないが、独り言が多い方だと思う。

外に出ると、まだ陽の昇らない薄暗い空。

この微かに肌寒さを感じさせる気温。

入念に膝の屈伸運動を繰り返し、息を深く吸い込む。

まだこの時期の朝は冷える。

そんな、朝の冷え切った空気が身体中に染み渡る。


そんなことをしているうちに再生されていた曲が終わり、次にランダムに選ばれた曲が再生される。

「さあ、スタート!」

力強く地面を蹴って走り出す。

午前五時すぎ。

まだ暗い寒空には薄い雲がまばらにかかっている。

まだ陽の昇らない、薄暗い街の景色に自分の姿が溶けてゆく。


咲野佑輝(さくやゆうき)十四歳。

走るのが日課である。



「はぁはぁはぁ」

一般的なランニングと言うよりはダッシュに限りなく近い速さで、早朝の街を駆ける。

駐車場に車が停っていないコンビニを通過し、まだ人気のない地元の進学校の門の前を通り過ぎる。

この道は歩道が狭いので危ないが、この時間はほとんど車通りがないので安心して車道にはみ出しながら走る。

走る俺を急かすかのように、イヤホンから耳へと流れる曲が早いテンポのものへと変わる。

国道に差し掛かると、信号は赤だけど車がないのをいいことに信号無視して横断する。

いつもの場所までもう少し―――


「はぁはぁ、ぜぇぜぇ・・・」

ドタッっと勢いよく倒れ込む。

いつもの坂の下。

自宅から、およそ二キロメートル。

ゆっくり立ち上がり、脇腹を手で支えながら辺りをふらふらと歩き回る。

息が整ってきたところで、深く深呼吸をする。

「よしっ」

軽い覚悟を決めて、坂の方へと視線を重く向ける。

そして、再び走り出す。

何メートルあるだろう。

桜の樹が両側に立ち並ぶこの坂を登ると、更に傾斜のきつい坂と階段が立ちはだかっている。

俺はその坂と坂を登る。

坂の終わりにある鳥居を目指して、とにかく坂を登る。


「はっはっはっ」

膝に両手をついて、深く息を吸い込む。

息が荒い。

一回登り切っただけでこの有様。

体力のなさを実感する。

そして、再び坂の梺へと歩いて向かう。

これをひたすら繰り返す。

坂ダッシュ十本。

これも日課である。


三本目あたりから、えぇっと、何て言うんだっけ、ここ。

この辺。

ケツのとこの筋肉。

ここが痛くなってくる。

七本目をすぎると足が動かなくなってきて、十本目にはとてもダッシュとは言えないほどのペースになる。


「っあぁあ、はぁ」

もう言葉になってない声を発して、十歩ほど歩いたところで仰向けに倒れ込む。

目をつぶったままゆっくりと息を整える。

少し落ち着いたところで、静かに瞼を開く。

目線の先には堂々とそびえ立つ鳥居。

空の色は白んできているもののまだ暗い。

そんな朝の神社にいつも通りギターの音と少女の声が響いている。

まだ、日の出まで少し時間がありそうなので、立ち上って坂の上にある小さな公園の水道へと足を進める。


 ♪~♪~

いつもと同じ曲が、いつもと同じ公園のベンチの方から聞こえてくる。

澄んだ朝の景色に深く溶け込む歌声。

水道へと辿り着くと、タオルと携帯音楽プレイヤーを石畳の上に置き、蛇口から勢いよく水を出す。

それを豪快に飲み込む。

汗として失った水分量を超える量の水が全身に染み渡っていく。


ーーーー
ここで毎度のことだけど、あえて  ベンチの方を見ないように意識する。別に見たくないわけではない。でも、なんだろう。何故か見てはいけない気がする。
ーーーーー


でも、次の瞬間だった。

「いっ!?」

そのときだ。

意識的でない。

ただ反射的に音源の、ベンチの方へと振り向く。

全く聞いたことのない曲。

別に、今までの曲も聞いたことのない曲だった。

この場所以外では。

でも、この曲はここでも聞いたことがない。


無意識に、ただただベンチの方を見つめる。

その視線の先の少女。

座ったままでも分かるくらい小柄な身体。

丁度、肩に届かないくらいの長さの髪。

実は、彼女とは会ったことがある。

これでもう、百回以上は会っていると思う。

その全てはこの場所で。

きっと、彼女は気づいていないと思うけど。

名前も学校も知らない。

そんな彼女はただ、毎日この場所で弾き語りをしていた。

あの日から毎日この場所に来た俺は、一日も欠くことなく毎日聞いていた。

きっと、俺がここに来るようになる以前から、毎朝弾いていたのだろう。


正直、小柄なその身体から発せられているとは信じ難い、はっきりとしていて、それでいて優しさを感じさせる声。

迷いを感じさせない、安定感のある演奏。

俺は完全に聴き入っていた。


 ♪~♪~

ベンチに腰掛け、弾き語る少女。

その背には稲含山から顔を出す朝日。

毎日見ている日の出のはずだが、いつもとは何か違う感覚。

『美しい。』

まだ青い中学生の自分だけど、この言葉の本当の意味が初めて分かった気がする。

なかなか絵になるアングル。

カメラを持っていたら写真におさめたいくらいだ。

ただ、立ったままその光景を見つめていた。


ーーー

演奏が終わると、彼女がこちらを向く。

そして、こちらに向かって微笑んだ気がした。

いや、気がしただけじゃない。

確かにこっちを向いて微笑んだ。

俺はどうすればいいのか分からなくなって、一瞬微笑み返して目線を反らす。

この状況がもどかしくて、この状況から早く抜け出したくて、タオルを拾い上げて鳥居の方へと駆け出す。

うーん。

なんて言えばいいんだろう。

ただ恥ずかしくて―――