とり残された社会といって良いかは解らないし、何がとり残され朽ちて行き、
はたまた創造か再生されるかわからない程、かなり速いスピードで何かが
動き出している様に時代を感じている。
マルチメディアという言葉がもてはやされていたのは一昔。
双方向のメディアとか言われてたのもまたその昔のこと。
今ではソーシャルメディアという言葉がもてはやされているように感じる。
しかし今がマルチメディアやweb2.0等と言われていたものが現実的に
一般大衆化したのかもしれない。
そもそもメディアとは何だったのであろうと考えた時、
むしろそれは実経済とどのように係わり合い、どのようにマネタイズするか
という事になりがちな世界という経路で私はよく目にする。
通常、膨らみかけ、形になり、そしてやがて収益性を帯びる形で実社会に浸透して行くのが常である。
コミュニケーションプラットフォームという要素で言えば、SNSなどが2006年頃にピークとなり、その中からグリーやミクシィなどの様にゲームという動的なアプリケーションを軸に発展を遂げているものがあれば、ニコニコ動画やスティッカムなどのように動的な映像を軸に人と人とが結びつくものがつい最近まで主流のように思えた。
2009年末から現在までで際立って流動化し加速化し、そう見えるのが
USTREAMのように感じる。
より明確に可視化されやすい情報化が進む中で、より大容量(=約3時間の動画記録)の記録媒体としての要素とコミュニケーション的な要素を同時に兼ね備えた技術が進歩し、TWITTERを軸に現在からすると新たなメディアとして変革しようとしている。
そのソーシャルメディアの5年後を想像したときに、「単なるメディア」
になっているかもしれないが、今現在の若者やそれを使いこなしている
人種にしてみたら明らかに実社会により近く、そこでの交流が実行動を伴い新たな出会いの場となり、交流のきっかけとなっている事を、もうそろそろ
だれもが普通と感じる頃なのかもしれない。
しかし、以前のそれと違うのは、完全なる組織 VS 個人であったが
どこかの組織に所属している個人 VS 個人という流れになってきているのではなかろうか? むしろ個人VS個人 でもないところに、民主制の芽生えとも言えるような人と人とのかかわり方が形成されつつあるように思えてしょうがない。
ラジオ放送がテレビ放送として親を食いつぶす形で組成していった様に
ソーシャルメディアはその様なマスメディアを食いつぶして組成していくのであろうか? はたまたインターネットに於けるソーシャルメディアが、マスメディアの性質を同じにして、単に経済的利益の大きさによって、存在意義や利用者多さから順位が入れ替わるだけなのではないか?
そのように仮定を強めていった際、私が感じるマスメディアの終焉は、アメーバのように流動化しやすく、更に「プロジェクト単位で再組成されやすいコアメディア」として形成され、新たなマスメディアになってき、決して組織力がはびこり難い形で社会とかかわりあっていくのではないかと推量する。
その流動性を加速化させているのもTWITTERがキーの様でもある。
それは古代ローマ時代の民主制の終焉と似た感もまたあり、
問題はそれが、どこかの国か、又は自国かはわからないが、少なくとも実経済を食いつぶす形で、剣の舞のごとくきりかかり、境内で笑いながら人ひとりが背負いきれない程の負担を金銭的に寺銭方式でまきあげていかなければいいなと思いたい。
今、37歳の私は時代が変わる微妙な時期を感じている。
ソーシャルメディア マネタイズ マスメディア
はたまた創造か再生されるかわからない程、かなり速いスピードで何かが
動き出している様に時代を感じている。
マルチメディアという言葉がもてはやされていたのは一昔。
双方向のメディアとか言われてたのもまたその昔のこと。
今ではソーシャルメディアという言葉がもてはやされているように感じる。
しかし今がマルチメディアやweb2.0等と言われていたものが現実的に
一般大衆化したのかもしれない。
そもそもメディアとは何だったのであろうと考えた時、
むしろそれは実経済とどのように係わり合い、どのようにマネタイズするか
という事になりがちな世界という経路で私はよく目にする。
通常、膨らみかけ、形になり、そしてやがて収益性を帯びる形で実社会に浸透して行くのが常である。
コミュニケーションプラットフォームという要素で言えば、SNSなどが2006年頃にピークとなり、その中からグリーやミクシィなどの様にゲームという動的なアプリケーションを軸に発展を遂げているものがあれば、ニコニコ動画やスティッカムなどのように動的な映像を軸に人と人とが結びつくものがつい最近まで主流のように思えた。
2009年末から現在までで際立って流動化し加速化し、そう見えるのが
USTREAMのように感じる。
より明確に可視化されやすい情報化が進む中で、より大容量(=約3時間の動画記録)の記録媒体としての要素とコミュニケーション的な要素を同時に兼ね備えた技術が進歩し、TWITTERを軸に現在からすると新たなメディアとして変革しようとしている。
そのソーシャルメディアの5年後を想像したときに、「単なるメディア」
になっているかもしれないが、今現在の若者やそれを使いこなしている
人種にしてみたら明らかに実社会により近く、そこでの交流が実行動を伴い新たな出会いの場となり、交流のきっかけとなっている事を、もうそろそろ
だれもが普通と感じる頃なのかもしれない。
しかし、以前のそれと違うのは、完全なる組織 VS 個人であったが
どこかの組織に所属している個人 VS 個人という流れになってきているのではなかろうか? むしろ個人VS個人 でもないところに、民主制の芽生えとも言えるような人と人とのかかわり方が形成されつつあるように思えてしょうがない。
ラジオ放送がテレビ放送として親を食いつぶす形で組成していった様に
ソーシャルメディアはその様なマスメディアを食いつぶして組成していくのであろうか? はたまたインターネットに於けるソーシャルメディアが、マスメディアの性質を同じにして、単に経済的利益の大きさによって、存在意義や利用者多さから順位が入れ替わるだけなのではないか?
そのように仮定を強めていった際、私が感じるマスメディアの終焉は、アメーバのように流動化しやすく、更に「プロジェクト単位で再組成されやすいコアメディア」として形成され、新たなマスメディアになってき、決して組織力がはびこり難い形で社会とかかわりあっていくのではないかと推量する。
その流動性を加速化させているのもTWITTERがキーの様でもある。
それは古代ローマ時代の民主制の終焉と似た感もまたあり、
問題はそれが、どこかの国か、又は自国かはわからないが、少なくとも実経済を食いつぶす形で、剣の舞のごとくきりかかり、境内で笑いながら人ひとりが背負いきれない程の負担を金銭的に寺銭方式でまきあげていかなければいいなと思いたい。
今、37歳の私は時代が変わる微妙な時期を感じている。
ソーシャルメディア マネタイズ マスメディア