これが、最後に作ったお節料理。
2年前の元旦、イギリスで手に入る食材で作った私のお節料理を夫は喜んで食べてくれた。
紅白なますを気に入って、2回もおかわりして。
そして、その日の夕方突然倒れて、そのまま目を覚ますことなく逝ってしまった。
今年は、12月28日まで入院していて、今まで考える余裕がなかった。
23日に手術が終わり、それから数日はいろんな管に繋がれていて、痛みも酷く、入れ替わり立ち替わり来てくれる医療スタッフの指示にただただ従っていた感じ。
そして、25日の朝、病院のスタッフから可愛いラッピングのプレゼントを頂いて、もうクリスマスだったと気づいた。
2021年は夫のいない初めての2人っきりのクリスマス。
そして2022年は、娘ひとりで病院までお見舞いに来てくれた。
どんな思いで目を覚まし、身支度し、病院までの長い距離を歩いて来てくれたのかと思うと胸が潰れる思いだった。
クリスマスの日は、交通機関も動いていない。
幸い、帰りはお見舞いに来てくれた友人が車で送ってくれたけれど。
結局、7日間の入院で家に帰ってきた。
3週間後に今後、更に治療が必要かどうかが分かるらしい。
家に帰って来ても、続けなければならない薬と注射がある。
血が固まらないようにする注射らしいが、これが術後2週間必要だそう。
クリニックは遠く、運転は4週間くらいは禁止。
つまり、自分でやることになる。
入院中に2回練習したが、注射が苦手で針を見ることができなかった私には相当な恐怖体験でしかない。
毎日、午後5時半の任務執行が怖くてたまらない。
夫がいたら、どうだっただろう。
毎日頑張っている私を褒めてくれたかな。
私が入院中留守にしている間、娘と外食したりして、寂しさを埋めてあげてくれてたのかな。
娘と2人っきりのお正月、
マミのことは大好きだけど、2人だけだと寂しいと言われてしまった。
マミもだよ。
お父さん、呼び戻せるなら、呼び戻したいよ。
帰って来て欲しいよ!!!
時計を見ながら、どうしても考えてしまう。
今、倒れた時間だ。
今、救急隊員の人がどんどん到着して止まった心臓を動かそうとしていた時間だ。
今、救急車にコロナ禍だからって1人で乗せられて行ってしまった時間だ。
今、病院から、最期のお別れをしに来てくださいって電話があった時間だ。
そして、もういいですか?って聞かれて
1人で、家でうずくまっている娘の元に帰ったんだ。
忘れられるわけがない。
何年経っても、毎年、この日は、鮮やかに蘇ってくる記憶を避けて通れない。
だから、日本に逃げようと思ったけど。
日本の家族に埋もれて
なんとかやり過ごそうと思ったけど。
無理だった。
去年は、フランスに逃げようと思ったけど、
コロナのオミクロンが流行り始め、イギリスからの渡航が禁止された。
今年も、こんなことに。
逃げずに現実に向き合えっていうことなのかしら。
何が正解なのかわからない。
ただ、ひとつ分かっていること。
それは
夫に逢いたい。
戻って来て欲しい。
2年前の今日に起こったことをまだ受け入れられていないってこと。