近代以前においては、暴力への権利は特定の審級に独占されていたわけではない。

暴力は、様々な団体によって多元的に用いられていた。

近代以前は「合法的な暴力行使を独占する」という意味での「国家」は、存在していなかった。


国家がまずあるのではなく、暴力の行使が国家に先行する。

あらかじめ存在する国家が、あらかじめ合法化された暴力を独占するのではない。

国家は、暴力が特定のあり方において行使されることの結果なのである。


国家を思考することは、暴力が組織化され、集団的に行使されるメカニズムを考察すること
に他ならない。

(近代における)国家とは、暴力が集団的に用いられるひとつの歴史的な形態である。

問われるべきは、

どのように暴力は集団的に組織化され行使されるのか、
そしてその形態は歴史を通じてどのように変化してきたかということなのである。