Ligare's Blog

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アマチュア写真家”リガーレ”のブログ

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出羽の「奥詣り」の地、羽黒山。
次は、修験道が確立する前の信仰形態はどいうものであったのか、という質問だったのだが、いでは記念館の職員さんは、さすがにそこまでは知らないみたいだった。そこから先は、羽黒山の神職さんの方に聞いたほうが良いらしく、話をうかがえるのか尋ねていただけるということだったので期待したい。ここで1つ補足として「修験道」のことを簡単に説明したい。それは日本古来の山岳信仰や自然観を基礎とし、その上に仏教、特に密教の思想を加えて神仏習合を果たした日本独特の山岳宗教らしい。そしてさらに神道、道教、陰陽道の思想や理念ををも取り入れたいろんなものが混ぜ合わさっている「混淆形態」を持っているとのこと(シンクレティズム)。しかもその内部構成は複雑で、何宗なのか、妻帯はしているのか、一般の檀家さんなのか、神道系なのかなど、複雑で多岐にわたっているようである。修験道の特色は、思想、教義だけではなく、その他雑多なものを包括していることにあるとも書いてあった。『参考文献「山と神と人」鈴木政宗』
出羽の「奥詣り」の地、羽黒山。

 先日、いでは記念館の方から聞いた話を紹介したい。出羽三山にまつわる話である。私は去年にキリスト教に改宗したのだが、それをきっかけに、他の宗教の理解も少しでも深め、よりクリアにしていきたいと思い、このような行動に至った。しかし今回は、修験道に関する教義的なものではなく、主に羽黒山の歴史についてである。また、私はクリスチャンではあるが、この出羽三山の信仰を今まで守り続けてきた方々には敬意を表したいという旨も付け加えておきたい。
 話に戻るが、まず私が最初に尋ねたのは「修験道」が確立したのはいつ頃であるかということである。それは平安末期であると伝えられているようで、その時代に開山したのは「蜂子ノ皇子(はちこのおうじ)」(神道)か「役小角(えんのおずの)」(天台宗)であるという話だった。私はもう1人、「空海(くうかい)」(真言宗)が開いたという話も聞いたことがあるが、過去に羽黒山と湯殿山との間にあった確執が原因かは私にはわからないが、その名前は出てこなかった。文献にきちんと出てくるのは、鎌倉時代になってからということなので、その時代のことは曖昧な感じが、私の受けた印象である。