2011年3月11日に発生した東日本大震災から7年が経ちます。

この大地震は東北地方を中心に多くの尊い命が犠牲となりました。東日本大震災で犠牲となられた方々に謹んで哀悼の意を表します。

また、被災地の一日も早い復興と、被災された皆様の平穏が早く取り戻されることを心よりお祈り申し上げます。

 

私の7年前の今日....

私はこの日は休日でパソコンを楽しんでいました。

14時46分...「ゴ-」と地鳴りが...。私は「また地震か!?」と軽い気持ちでおりました。

揺れが軽く来て段々強くなりそれも長い...。

突然、かなり強い揺れが来て、停電、パソコンのモニタ-が飛びました。1Fからは食器などが割れる音がしたりと立っていられない状況でした。

長かった揺れがおさまり、家の状態を確認しようと外へ出ると近所の方達も外に出て、家の状態を確認していました。

 

 そして、私は近所に住む両親の事が心配になり行ってみると途中、信号も点いていないし道路は混雑しておりなかなかたどり着けませんでした。

 やっとたどり着いて、両親の家の中に入ってみると家具が倒れてたり、食器棚も倒れガラス破片が散らばりと危険な状況でした。

両親は無事で片付けを手伝っていたらまた大きな揺れが...今度は茨城県沖震源地の地震です。

 両親の安否・安全を確認できたので、私は子供達や妻との連絡を待つのに自宅に戻ろうと、その前にコンビに寄り、水とカップ麺を数日分購入しました。

コンビニもビン類が床に落ち悲惨な状況でした。

 

- - - - -携帯もつながらない....とても不安な時間- - - - -

何度も何度も長男や妻の携帯に電話をした。また、小学生の息子のところには迎えに行ったほうがいいのか悩んでいた時、次男が小学校から帰宅した。自宅に親がいる生徒は下校の許可がおりたらしいです。「よかった....」

でも、まだ二人の安否確認ができていない。

不安、不安、不安で涙がでました。探しに行きたくても私が外に出たら連絡つかなくなると思い外に出られない。外は暗くなり...ますます不安が...でも、小学生の息子に弱気な姿は見せられない辛さ。

長男と妻の居る場所は、自宅から数十キロも離れており不安で「○○○(子供の名前)、○○○(妻の名前)、」と何度も心の中で叫び無事を祈っていた。

 

そんな時、「ブ~ン」「!?車の音!」、妻が何時間もかけて帰宅した。無事な姿を見てホットした。

あとは長男、駄目もとで妻が息子の携帯へ電話をしてみた。「プル~ッ」奇跡的につながった!!

長男「友人の親が車に乗せてくれると言ってくれてるんだけどいいの?」

妻「乗せてもらいなさい!」

長男も数時間かけて帰宅し、家族全員無事揃った。本当に良かった。

 

7年後の今....

今、子供達は都内に通っている。

またあのような地震がきたらどうなるのだろうか?

不安が大きい。

もし、都内にいて災害に遭ったら....

もし、連絡が取れなくなってしまったら....

もし、......。

考えなければいけない事が沢山ある。